8月10日 午後18時15分 所長室 村山麗子
今日の仕事を早めに切り上げ、私は携帯を鳴らした。
相手は天目雅彦。苺山学園に通う高校1年生の男子生徒だ。
私と彼の関係は、姉と弟と言った方がわかりやすいだろう。
名前から分かる通り、私と彼には血の繋がりなどないのだが、以前呼ばれた彼の誕生パーティで知り合ってからは親しくさせてもらってる。
正直、最初は彼が天目財閥総帥の孫だから仲良くしておこうという思惑だったのだが、
彼をよく知っていくうちに、出来の悪い子を可愛がるみたいに、利益など関係なしに仲が良くなっていった。
私自身も驚いているのだが、どうやら私のような冷血人間にもまだ人の温かい部分が残っていたらしい。
「姉さん、久しぶり。元気だった?」
久しぶりに聞いた出来の悪い弟の懐かしい声。久しく感じることのなかった安らぎを覚える。
彼と会話するとなぜか心が晴れやかになる。
「ああ、こっちは元気でやってる。そっちはどうだ。ちゃんと勉強をやってるか?」
「うん、まぁーぼちぼちかな。それにしても久しぶりの電話だというのに、いきなり勉強とは、姉さんも相変わらずみたいだね……」
「ふっ、あたりまえだ、私は何も変わらん。心配なのはおまえのことだけだ。
いいか、おまえは将来この天目財閥を引っ張っていく立場となるのだ。そこをだな……」
「はいはい分かったから。もう、そのセリフ、耳にタコができるくらい何回も聞いたよ」
会うたびに繰り返されたやりとり。雅彦は何も変わってないようで安堵する。
そして雅彦と会うために話を切り出す。
「今からそっちに行っていいか? 実は近くまで来てるんだ」
「えっ、姉さん苺山島に来てるの!?」
心底驚いたような雅彦の声。当然だろう。ここにいることなど一言も言ったことなかったのだから。
「ああ、そうだ。何か都合でも悪いことがあるのか?」
「な、ないよ。ないけど、取りあえず外で会おうよ! 今住んでるの男子寮だから姉さんが来ると色々まずいんだよ!」
「ほう、そうなのか」
私は含み笑いを浮かべると、焦った声で私に訴えかける雅彦を無視するように言葉を続けた。
「では、5分後、そちらに行くからな。逃げるなよ」
「ま、まってねえさ……」
何やら雅彦の悲鳴が聞こえたが、無視して電話を切った。
まったく普段から、ちゃんとした生活を送っていればこんなに焦ることもないのだ。これではまた会ったときに言ってやらねばなるまいな。
私は白衣を脱ぎ、研究所から出ると、車に乗って弟が待つ男子寮へと向かうのだった。
「うう……、姉さんひどいよ」
「馬鹿、堂々としていればいいのだ」
きっかり5分後。男子寮に着いた私は、車を降りていざ踏み込もうとした瞬間、
待ち構えたように外で待っていた雅彦に捕まった。
どうやら意地でも私を男子寮、いや自分の部屋に入れたくなかったらしく、そのまま私をグイグイと男子寮の敷地外へと引っ張っていく。
「おいおい、どこまで私を引っ張っていくつもりだ」
男子寮からかなり離れたというのに、まだ私を引っ張っていく雅彦に呆れ顔で言う。
「ここだよ。ここなら誰もいないから」
「んっ?」
連れてこられたのは人気のない公園。すでに暗くなっているので街灯だけが光を放っている。
私と雅彦はそんな街灯下のベンチの一つに腰かけると、ようやく落ち着いて話を始めた。
「それにしても、いつ姉さんは苺山島に来たのさ。言ってくれれば迎えに行ったのに」
「ああ、それは済まなかったな。来たのは、ほんの3年前だ。ここにいるのは仕事のためだな」
「それって……僕よりはるか前からここにいるってことだよね。なんで教えてくれなかったのさ……」
「それはお前が聞かなかったからだ。言えば教えていたさ」
呆れたような表情で溜息をついた雅彦に、私は苦笑いしながらネタ晴らしをしてやる。
「それで僕に何か用? 何か用があるんだから僕に会いに来たんでしょ?」
「おいおい、用がなければ私の可愛い弟に会いに来ては駄目なのか」
「よく言うよ。僕に会いに来るときは絶対何かあるくせに」
私の顔を窺うようにして、少し身構えた雅彦。どうやら私はよほど信用されてないらしい。寂しいことだ。
「実はお前に、こづかいをやろうと思ってな」
私は、そんな彼のご機嫌をとるように、ポケットから財布を出して5千円札を取り出す。
すると現金なもので、すぐに雅彦は目を輝かせて態度を変えた。
「なんだ、早く言ってよ姉さん! 会いに来てくれて大歓迎だよ!」
飛びつくようにして5千円札を受け取った雅彦。
あまりに現金なその態度に内心苦笑いしながら、気を取り直してとりとめのない話を進める。
「この島での生活はどうだ。ちゃんと飯を食べてるか?」
「大丈夫だよ。寮暮らしって言ってもちゃんとご飯出るし、学校の方もちゃんと行ってるしね」
「ほぅ、そうなのか。それは結構なことだな。部活とかやってるのか?」
「う、うん。それは……ちゃんとやってるよ」
上機嫌な態度だった雅彦が一瞬、言葉を言いよどんだ。それを見て私は怪訝そうに尋ねる。
「どうした? 部活、楽しくないのか?」
「い、いや。そんなことないよ。別に問題ないし!」
明らかに動揺を始めた雅彦。声が上擦り挙動が不審になる。
昔から嘘をつくのは下手だったが、以前はもう少し上手くついていたものだ。
私は、足を組み直し、その嘘を暴きにかかる。
「雅彦、今はなんのクラブに入ってる? 運動系か?」
「ん、いや、えっと、文科系だよ。映画研究部…っていう部活」
「映画研究部だと……!?」
思いもよらぬ雅彦の言葉に、私の眉が反射的に跳ね上がる。
「ど、どうしたの、姉さん。なんか怖い顔をして……」
「……いや、なんでもない。私も昔、映研にいたことがあってね。それで驚いてしまっただけなんだ。許せ」
「そうなんだ。びっくりしたよ」
雅彦がようやく動揺を鎮めて、ハハハと空笑いするのを、私はどこか遠くで聞いていた。
苺山学園の映研といえば、桐沢真由美が部長を務めている部活。
タイプαを持ち出したと疑われる最重要人物の1人だ。
いや、それだけではない。死亡した春山啓介もそこに所属していたのだ。
恐らく事件があったときは激動の中心点にいたに違いない。
私は奥歯を噛みしめ、頭を回転させる。
まさか雅彦がそのような人物と関わり合いを持ってるとは思わなかったが、今はどうでもいい。
それより気になるのは、細川の持ってきた報告書には雅彦のことなど一言も書かれていなかったことだ。
雅彦は天目家の跡取りで、ゆくゆくは天目家の頂点に立つ身。
そんな彼が映研部に所属していたとすれば、報告書に必ず記載されるはずだ。それを書いていなかったとすれば、重大な失点に繋がる。
細川は軽薄な男だが、決して能力は低くない。つまり、奴がそんなミスを犯すとはとても思えないのだ。
と、なると、故意に報告しなかったということか……。
私は先ほどからしきりに話しかけてくる雅彦に空返事を返しながら、懐のポケットからタバコを取り出し火をつける。
奴はなぜ黙っていた。黙っていて何か得するメリットがあるのか?
タバコをふかしながら考える。
この件で関係するのは桐沢と死亡した春山、そしてその恋人である藤乃宮だ。雅彦は関係ない。
だが先ほども言った通り、雅彦は天目財閥の後継者。桐沢が犯人である可能性が高いなら、必ず報告の義務が生じる。なにせタイプαは1ダースもなくなっているのだ。もしこれが身近な者にばら撒かれたら大変なことになるのは言うまでもない。
雅彦が桐沢に近いなら、一刻も早く引きはがさないといけない。
それなのに奴は黙っていた。
いったいなぜだ?
雅彦に何かあれば奴に得することがあるのか?
この件は植物研究所の失点であるため、まだ上には報告していない。発覚すれば、もちろん私は管理責任を問われることになるだろう。
もし奴に野心あればこの件を上に報告し、雅彦を危険に晒したと私の責任を追及すれば、奴の手に所長の座が転がり込む。
つまり、私を追い落としたいならこのまま報告すれば問題ないはずだ。
私と奴は、所長の座を巡って争ったライバル。そうしてもおかしくない。実際奴は軽薄な男、その可能性は極めて高いのだが。
私はため息をつくと、改めて雅彦を見た。
何も知らず、必死に話しかけてくる私の可愛い弟。嘘を誤魔化すために必死なのだろう。
いつもより饒舌になっている。
私は、その話し相手になりながら、一刻もこの件が片付くのを祈るのだった。
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- 2012/09/23(日) 22:56:52|
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