次の日、
目が覚めたのは、かなり日が昇ってからだった。
昨夜の戦闘と鎖から解放された初日ということもあって、相当疲労がたまっていたらしい。
「ティア、起きてるか?」
身支度を整え、ティアの寝ている部屋へやってきた錬は、部屋の外からティアに声をかける。
「錬さん、起きてますよー」
バタバタと音がし、部屋の中からティアが元気に姿を見せた。
ティアも昨日の初勝利で生きる希望が沸いてきたらしく、昨日以上にやる気に満ちた顔をしている。
「錬さん、今日も頑張りましょう!」
「あ、ああ。そうだな」
ティアの勢いに少し押されながらも、錬はティアと一緒に少し遅めの食事をとる。もちろん食べ物は支給された干し肉だ。
こんな硬い肉でも腹が減ってれば美味しく感じる。
15分ほどで食事が終わると、錬は部屋の天井に刺さっていたスケルトンの剣の下までやってくる。
「錬さん、その剣、持っていくんですか?」
「そうだ、俺たちの武器より強力そうだからな」
スケルトンの持っていた剣なんて呪われてるんじゃないかしら、とティアが小さな声で呟いたような気がしたが、
構わず、天井の剣を回収するために力強く引っ張った。
──メキッ!
「……よし、抜けた」
木を引き裂くような音と共に剣がすんなり抜け、剣身が傷ついてなかったことにホッとする。
そして手元に引き寄せた剣を眺め、慎重に調べる。呪われているとは思わないが念の為だ。
剣身や剣幅は支給された剣とそれほど変わりはないが、材質だけがはっきりと違うようだ。
支給された剣が銅で出来ているのに対し、スケルトンの持っていたのは鉄で出来ている。こちらのほうが重さは軽く、見ているだけでも切れ味は良さそうだ。
ブンブンと軽く鉄剣を振りながら柄の感触を確かめ手に馴染ませる。
うん、問題はなさそうだ。
別に呪われて気分が悪くなったというわけでもなく、普通の鉄剣、ロングソードなのは間違いない。
「あの、、大丈夫ですか?」
恐る恐るといった風に、ティアが錬の顔を覗きこむ。どうやらまだスケルトンの持っていた剣が呪われているんじゃないかと疑ってるらしい。
「大丈夫、普通の鉄剣みたいだ」
安心させるように笑顔で鉄剣を床に刺して手を離してみせると、ティアはホッとしたように表情を緩ませた。
「よし、じゃあ、昨日言ってた通り城門前に行ってみようか」
「はい!」
こうして錬とティアの探索2日目は始まった。
建物から出た2人は、タンスの下敷きになりバラバラになったと思われるスケルトンの骨を確かめ、城門の方へと足を向ける。
外は鳥の鳴き声が周囲の建物付近から聞こえるぐらいで、気温は涼しく、多少だが昨日よりかは過ごしやすい。
道端に生い茂った雑草の緑、気温などから、
地球で言うところの6月か7月くらいなのだろうか?
ティアに色々この世界の事を聞いてみたいが、変に思われそうだし、何よりも自分の事も突っ込まれると嫌なのでなかなか話を聞けそうにない。
そして歩きながら錬は悩んでいた。なぜなら自分が戦闘の素人だということをティアにまだ告げてないせいだ。
それは期待の眼差しを向けるティアをがっかりさせたくなかった為というのものあったが、どこか楽観的にこの世界のことを考えていたせいでもある。
異世界に迷い込んだ自分、特別な存在。自分が死ぬわけなんてないと心の奥底でどこか思ってた。
剣を持てば何かしら巨大な力を手にし、魔物をやっつけることも可能だと思っていた。
物語でいうところの英雄や勇者と自分を重ねていたのだ。
だが、実際は違った。スケルトンと目があった時、体がわずかに動くのがやっとだった。
剣を交えなくても分かる。スケルトンは強い。
スケルトンの頭が良かったらきっと自分は死んでいただろう。今回生き残ったのは、ただ運が良かっただけにすぎない。
昨日もっと色々話しとくべきだった、と頭を抱えながら、左隣を歩くティアに話すきっかけを探す。
だけど辺りに気を配りながらも、廃墟に咲き誇る見たこともない美しい花々に頬を緩め、にこにこしているティアを見ると、どうにも話を切り出しにくい。
どうしようかと頭を悩ませる錬。今さら自分は弱いと言いづらい。
現に昨日のスケルトンの件でますます強いと思われてるだろうし。いや、あの場合は頭がいいか……。
「錬さん、どうかしたんですか? なんだか難しい顔をして」
表情に出ていたのか、いつのまにかティアが身体を寄せて、こちらをに心配気に上目遣いで見つめている。
「ああ、いや…」と、錬は言葉を濁す。しかしこれでは埒が明かない。
「あのさ、、言いにくいんだけど……」
「?」
本当の事を言ったら失望するだろうか? そんなことが一瞬、頭によぎる。だが、言葉は止まらない。
錬の声の調子に不思議そうに首を傾げたティアに
「ごめん、もっと早く言うべきだったんだろうけど……」
「うわあああああああああああああああああああああああ!!」
意を決して切り出した途端、突如野太い悲鳴が周囲に響き渡った。
前方、城門の方から聞こえてきた男の断末魔に似た悲鳴に、錬とティアは驚いて顔を見合わせる。
「城門前からだ!」
何も考えずに錬は城門に向かって走り出す。
「わっ! ま、待ってください!」
と、後ろからティアが慌てて追いかけてくるが、振り返る余裕はない。
先ほどから自分の力の無さを再認識してたのにもかかわらず、日本人特有の人の良さが、考えなしに自分を無鉄砲に走らせたのだ。
城門前で、どのような危険が待っているかも知らずに。
───早く、早く、少しでも早く。
ティアが少し後から付いてきているのをチラリと確認した錬は、さらにスピードをあげる。
すでに城門は見えている。あと30メートルほど走れば着くだろう。
結構な速度で走ってきた為、胸の動悸が高まり息苦しい。
だがそこで、錬は突如スピードを緩めた。
後ろから追いかけてくるティアが気になったのも確かだが、ここからでも見える城門前の広場である事が行われてたからだ。
「………」
城門入り口で仰向けにバンザイするように倒れている人がいる。
だが、それだけでは大して驚きはしない。
問題は倒れている人の傍で剣を抜いた2人の男が、倒れた人から支給品らしき皮袋を漁っているのだ。
(……あいつらがやったのか?)
結構先であるため顔などは、はっきりと分からないが、2人組の男は自分たちと同じ奴隷にみえる。が、錬たちと違うところが一つある。
それは身につけている装備だ。
彼らは腰に剣を2本差し、体をある程度覆う軽鎧らしきものをつけている。
鎧をつけてるところから、一瞬、奴らは兵士なのか?と思ったのだが、身なりが帝国兵に比べあまりにみずぼらしいので奴隷なのだろうと、そう結論付けた。
「れ、錬さん、はやい。はやすぎます」
結構距離を引き離したティアが息も絶え絶えに追いついてくると、乱れた呼吸を整えるように胸に手を当て抗議する。
「ああっ、すまんすまん、つい悲鳴に釣られて……」
悪いことをしたと内心で反省し、ティアに謝罪しようと視線を横にずらした瞬間、
錬の目にありえないモノが目に入り、慌ててティアの腕を掴んで大通りの傍の建物の影に無理やり引っ張りこんだ。
「ちょ、ちょっと錬さん、痛いです。今度はどうしたんですか!」
再び抗議の声をあげるティアの口を手で封じ静かにさせると、錬は、そのありえないモノに目を向けた。
───ひと、ひと、ひと、ひと、ひと。
人目につきにくい城門傍の道の端に、折り重なるように積み重なった死体の山がある。
まるでパイ生地のように何層にも重なった死体からは大量の血が溢れだし、ふもとに真っ赤な血の池を作っている。
その数は両手の指を足しても明らかに多い。
思わずこみ上げてくるものを感じ、錬は右手を口に当てる。
口を塞がれ涙目になったティアが、視線だけで抗議を示そうと睨んでくるが、錬の視線の先に気付くと、借りてきた猫のように大人しくなり死体の山を茫然とした表情で見つめた。
「………あれは、いったい」
口を解放されたティアが信じられないように尋ねてくるが、それはこっちが聞きたいくらいだ。
別に錬にとって死体を見るのは初めてではない。葬式で何度か見たこともあるし、病院で祖父の死を看取ったこともある。
けどあれほどの数、リアルさはない。
棺桶や布団の上と違って無造作に道端に積み上げられた死体。
遠目に見てもこれほどの衝撃があるのだ。近くで見ればその衝撃は計り知れないものとなっただろう。
錬は沸き上がる恐怖を抑え、答えを求めるように必死に死体の山と2人組に交互に視線をやる。
いったいあれほどの死体をどうやって集めたというのか。
動揺を抑えるように呼吸を整えてると、倒れた男の荷物を漁っていた2人の男が立ち上がり、死体の足を掴むとズルズルと山の方へ引きずっていく。
そして死体の山に辿り着くと、2人で荷物を投げるように呼吸を合わせ、倒れた男を山に向かって放り投げた。
錬は、その流れるような作業を見せつけられ唇を噛む。
どうしていいか分からない。
今は閉まっている城門に行きたいが、あの得体のしれない2人には近づきたくはない。閉じた城門は、時間が経てば開き食料等が支給されるのか、それとも他で食料や水が手に入るのか、あの2人組なら知ってそうな気がするが、もしあいつらがこちらに敵意を持っていたりしてたらと思うと足がすくむ。
正直、あの死体の山と慣れたような作業を見れば自分たちに襲ってくる可能性は高い。
ならば、あの2人組が城門から立ち去るのを待つべきだろうか。隠れるようにして建物の陰から城門と死体の傍にいる2人組を凝視して唸る。
他の奴隷を捜して情報を得るという選択もあるが、この城下町は想像をはるかに超える広大さだ。すぐに見つかるとは限らない。
そう、時間がない。錬たちには残り僅かな食料や水しかないのだ。出来るだけ早く情報や食べ物が欲しい。
(リスクは高いが、やはり行くしかないか……)
食料と水が残り僅かで焦ってるということもあるが、実際、あの2人組が人を襲ったところを見ていない。もしあいつらが錬の予想と違って兵士か何かで、なんらかの任務で城門前で魔物に殺された人間を始末してるということも考えられないわけではないのだ。
未だ茫然としているティアをどこかに隠れさせ、自分ひとりであの2人組に会えばいい。
な~に、逃げ足には自信がある。
そう決断を決めかけた時……。
「行かないほうがいいですぜ。旦那」
「誰だ!?」
横合いからの突然の声にその場から飛び退くように下がった錬が、ティアを庇うように慌てて腰の剣を構えた。
「ああ、とりあえず剣を収めてくだせぇ。あっしには敵意なんてありませんぜ。ヒヒヒ」
大通りから外れた建物と建物の間に伸びる横道。昼間だというのに薄暗いその通りの奥から、茶色のフードを被った160センチくらいの痩せこけた男がこちらに向かって歩いてくる。
顔はフードに隠れて口元しか見えないが、その格好はボロボロの外套を身にまとい汚らしい。
当たり前だがその言葉をとても鵜呑みに出来ず、錬は油断なく剣を構え続ける。
「まいりましたねぇ、信用できませんか。
とりあえず質問には答えますぜ、あっしの名前はベガン。以後お見知りおきを、若旦那」
こちらを警戒させまいというのか、ある程度離れた距離で立ち止まると、
外見から似合わないような甲高い声で質問に答えて、こちらを値踏みするように目を細め、錬たちの身体に視線を這わせ始める。
そのねめつくような視線は、錬の体つきを軽く見たあと、ティアの全身を舐めますように何度も上から下へ、太ももから胸へと移動していく。
ティアはそのヘビのようなねちっこい視線に晒され、耐えきれないように両手で胸を隠して錬の背中に隠れた。
「……それで俺たちになんか用か?」
「いやいや、用ってほどでもないですがね、若旦那たちが城門に行かないように忠告しに来たって訳ですよ」
「なぜだ?」
「あいつらは人狩りですぜ。城門が開いてることを期待してやってくる奴隷を、ああやって狩ってるんですわ」
「そんな嘘、どうして……」
人が人を襲うなんてとても信じられないように、ティアが錬の背中で怯えた声をあげた。
かくゆう錬も奴隷が奴隷を襲うなんて信じたくなかったが、先ほどの光景を見ている以上ベガンの言葉は信じるに足りた。
「……持物を奪うためか」
「その通りでさぁ。城探索の奴隷が補充されると、大抵、城門が再び開くのを期待して新入り奴隷共が集まってくるんですわ。
新入りの奴隷の装備は貧弱ですし弱者も多いが、食料や水、そして銅剣を持っていますからね。それを狙って、ああやって狩りをしてるわけですよ」
ちなみに今いる2人組はダバ兄弟と言って有名な奴らですぜ。ヒヒヒ…と、ベガンが言葉を付け足す。
「なら、なぜ兵士たちは止めない? 奴らにとっても探索する奴隷が減るのは痛いだろう?」
「止めたくても止めれないんでさぁ。なにせ、正門が開くのは1週間に1度だけですからねぇ」
事もなげにスラスラと疑問に答えていくベガンに、錬とティアは驚く。
どのような仕組みで城門が開くのかは、この城を放棄した帝国にも分からない。
ただ、決められた日、決められた時間の間だけ、城門がどのようなカラクリかは解らないが開くらしい。
「……お前何者なんだ?」
信用したわけではないが、錬の疑問にスラスラ答えるベガンに思わずそう尋ねる。
「情報屋といえば分かりますかねぇ。あっしは情報を切り売りすることで金を稼いでるんでさぁ」
「情報屋……」
ティアがそんな呟きを吐き、錬は眉を寄せる。
情報屋の意味は分かるが、こんな場所にいるとは思ってもいなかったからだ。
普通情報屋がいるのは街など人が多い場所。いつ魔物が襲ってくるか分からないこんな物騒な場所にいるのは違和感がある。
「ひょっとして近くに人が集まってる集落みたいなのがあるのか?」
そうとしか思えない問い。
こんな人がいつ出会えるか分からない、城下街で情報屋をするなんて効率が悪い。
もちろん城探索の片手間にやってるということもありえるが、ベガンは見たところ大した武装はしていない。武器と思しきものはボロボロの外套から僅かに覗かせる剣らしきものだけだし、ヒョロヒョロしててぶっちゃけ弱そうだ。もし集落があるなら、そっちで情報屋メインでやっているというほうがしっくりくる。
「聡いですねぇ、その通りですよ。若旦那」
まるでよくできましたとばかりに拍手しそうなベガン。
頭の出来を試されたようでむかっとしたが、褒められてちょっぴり嬉しかったのも事実なので、なんだか複雑な気持ちだ。
「それじゃあ、その集落はどこにある?」
はやる気持ちを抑え本題に入る。これが分かれば一気に自分たちの生存確率があがる。
人が集まる集落なら食料や水、武器や防具、そして情報も手に入る。なによりも集落はここよりはるかに安全に休めるところがあるだろう。
「おっと、それを知りたければ金が必要ですぜ、若旦那」
ベガンは不快にヒヒヒ…と笑いながら、手の平を軽く動かし、金を要求する仕草をした。
やはりきたか。
と、錬は表情を変えないように苦労しながら、頭を働かせる。
自分が情報屋だと言った時点でこれは予想していた。
ある程度情報を小出しにして、本当に欲しいことには金を要求する。よくあるパターンだ。
錬たちにとって喉から手が出るほど欲しい情報だが、残念なことに金の持ち合わせなどない。
(さすがにタダで教えてくれるほど甘くはないか……)
無意識にポケットの財布を出そうと、手を突っ込んで財布がないことに気付き、内心で顔を歪める。
奴隷になったときに財布は兵士たちに奪われてしまった。お札は「汚い紙」だと兵士たちは捨ててしまったのだが、硬貨が珍しかったらしく財布ごと持っていかれてしまったのだ。
向こうの世界の硬貨があれば、珍しさで情報と交換できたかもしれないが、ない以上、他の物で手を打つしかない。
「あいにくだが俺たちにそんな金はない。他の物では駄目か?」
と、錬は自分の持つ2本の剣のうち銅剣に指し示す。
「支給された銅剣ですかい」
それに対しちょっと思案したベガン。
そして暫くして考えが纏まったのか、卑屈そうに笑うと、
「なら、若旦那の後ろにいる娘をちょっとばかし貸してくれませんかねぇ、なぁに15分ほど貸してくれましたらすぐに返しますんで」
と、意味ありげに舌舐めずりをしながらティアに顔を向けた。
(この最低のクズ野郎が…)
カッと頭に血が昇る。
ベガンの目的が何かは深く考えずとも分かる。ようするに情報と引き換えにティアの身体を要求しているのだ。
城門の奴らと大して変わらない下種野郎。背中で震えているであろうティアの心情を思いやり怒りを募らせる。
が、ここで怒りに任せて軽はずみな事は言えない。
なぜならこいつは自分たちにとってクモの糸。
この条件を飲まないにしても、最低でも街の場所のヒントを引き出さないといけないのだ。
「……その条件は飲めないな。第一、お前が嘘の情報を教えるかもしれない。この銅剣が払える限界だ。それで手を打て」
「あっしが嘘をつくとでも?」
いつのまにか剣呑な空気が漂い始め、錬とベガンの視線がぶつかりあう。
錬は、いつ襲ってきてもいいようにと、ゆっくりと構えた鉄剣の柄を再び強く握り直す。
ベガンは細い目をさらに細め、それを見てとると、
「冗談、冗談ですよ若旦那。あっしも長生きしたいですからねぇ。スケルトンを倒すほどの猛者とはやりあいたくないですわ」
と、急に雰囲気を変えて、錬の持つ鉄剣に視線をやり降参とばかりに両手をあげた。
助かったと、別に戦うつもりはなかった錬は少し気が抜ける。
どうやらこいつはこの鉄剣がスケルトンの戦利品だと知っている。
しかもこの態度から、スケルトンは相当の強さであることは間違いないようだ。
こちらに敵対する意思は感じられず、一転媚びるように手を擦り合わせるベガンを視界に入れながら、
こいつは正面からスケルトンを倒したと思っているのかもしれない、自分を実力者と勘違いしているんだろうと思った。
「それで、銅剣で手を打つのか打たないのか、どっちなんだ?」
180度態度が変わったベガンに呆れながらも、少し緩んでいた気を引き締め油断せずに問う。
「もちろん、街の場所は教えますぜ。ただ、銅剣は結構でさぁ。今後もお付き合いをしていただけそうな客には初回サービスをしてますんでね。ヒヒヒ……」
と、ベガンはそう言うと、錬の背後へ指をまっすぐに伸ばした。
「城門から西、つまり若旦那の背後にある大通りを隔てた路地をまっすぐ行くと、西の城門へ突きあたるんですが、そこの城門を潜ると奴隷たちの街、奴隷街に辿り着けますぜ」
「本当なのか?」
「ヒヒヒ…今さら嘘なんてつきませんぜ。ああ、もちろん信じる信じないは若旦那の自由ですが、情報屋は信用が全てですからね」
ベガンはそれだけ言うと、こちらに背を向け「またお会いしましょう。若旦那」と去って行った。
「こ、こわかった」
姿が見えなくなった途端、ティアは涙目で錬の服をぐいぐい引っ張った。
そう、ティアは不安で不安で仕方がなかったのだ。
奴隷になったら失うものなんて何もない。他人がどうなろうと知らない、自分だけが助かればいい。
ティアは今までそんな人間を沢山見てきた。
信じてはいたが、錬が自分を切り捨てる可能性もあったのだ。
ベガンという男が自分の身体を要求した時、錬は確かに顔色を変え、怒りの表情を一瞬だが表してくれた。
守ってくれたのだ。ベガンという魔の手から自分を。
(やっぱりこの人を選んでよかった……)
安心させようというのか、先ほどから懸命に自分に優しい言葉をかけてくれる錬の姿に、ティアは心が温かくなるのを感じるのだった。
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- 2016/05/21(土) 12:55:55|
- 小説
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