犬山城攻防戦が始まって8時間経った。
少数の敵の侵入を許したものの、なんとかそれを撃退し、再び敵の侵入を防ぐ戦いに戻っている。
こちらの被害は、敵が3に対し味方が1と言ったところだ。
さすがは由布惟信であろう。崩壊寸前の戦線をなんとか押し返している。
しかしながら、兵の消耗は激しく士気においては島津兵より劣る。やはりこの戦いに臨む意気込みの違いであろう。
敵はこちらの4倍。しかも大将は島津星姫。この城を抜けば清州を除けば大した兵の残ってる城などない。ここが落ちれば尾張を手中に納めれる可能性が高いのだ。
ところで南側の直樹が代理で指揮する隊といえば、時折、忘れたころに攻めてくる敵兵に緊張を強いられていた。
弓を撃てばあっさり引くのだが、少しでも指示が遅かったりすると、一気に波のように押し寄せてくるため気を抜けない。
本来の指揮者である荘介はまだ帰ってきておらず、矢継ぎ早に伝令を送って帰還するよう催促しているのだが、「南側を死守せよ」の一点張りで聞く耳を持たない。
よほど東側が苦戦しているのかと、現状を聞いてみると、敵を押し返したと言ってるのだから、少しは余裕が出たと思うのだが。
いったい東側はどうなってるんだ。彩月と槍之助も帰ってこないし……。
イライラが募りながら腕を組んで他の兵士に睨みをきかせていると、荘介からの伝令がやってきた。
「荘介さまはなんと?」
「はっ、東側の兵と入れ替えるため、南側の兵を100寄越すようにとのことでございます」
なんだって!?冗談じゃない!
すでにこちらの兵は500まで減ってるんだぞ!
目を見開き、僕は唇を噛みしめる。
もともと南側には兵が800いたのだが、最初に援軍を送り入れ替えた兵が100。そして先ほど荘介が連れて行った兵が300もいる。
入れ替えた兵は負傷兵が多く、ちょっとやそっとの治療では使い物にならない。よって500と言ってもその内訳は400だ。
そっからさらに元気な兵を100も持ってかれたら、ここを残り300で持たせなければならない。冗談は槍之助の頭だけにしてくれ!という命令だ。
自分がここにいたときは兵を割くことも悩んでいたくせに、一回命令違反を犯したらより大胆になるタイプか?
それとも南に敵が積極的に来ないと見越しての命令か?
モチベーションがどんどん下がるんだけどっ!
「……いかがなさいますか?」
「………………」
ここの状況が分かってる伝令が、気の毒そうに僕の顔色を窺ってるが、僕としてはどうもこうもない。命令に従わなければ後でどんな目に合わされるか分かったもんじゃないからだ。
「わかった。すぐに兵を向かわせると伝えてくれ……」
「はっ……!」
素早く伝令兵が立ち上がり、背を向けて東側に戻っていく。
僕は、頭が痛むのを感じながら、どうやってここを持ちこたえさせるかと知恵を絞るのだった。
・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
日が暮れはじめると、ようやく敵の攻勢が終わり、兵が一端引き始めた。
彩月と槍之助も島津の足軽を三名ほど仕留めて無事戻ってきた。
やれやれと肩の荷をおろして長屋で一息ついていると、僕は伝令に呼ばれて、荘介の元へ向かった。
「持ち場を離れて申し訳ありませぬ。ですがここにいる直樹という男ならば、十分に南の城壁を守れると思いましたのでここへやってきたのです」
「ほう……」
パチパチと松明が炊かれている城下街の武家屋敷の大広間で、僕は荘介と共に城主、由布惟信の前で平伏して、荘介の申し開きに付き合わされていた。
どうやら持ち場を勝手に離れたことを叱責されていることから、いいダシに使われているらしい。
「では、そなたが東に来てからずっと南で指揮をとっておったのは、そこの男であったのか」
「はい、その通りでございます。拙者の期待通り、この者はよく南城壁を守り通してくれました」
調子のいいこと言って!
僕は、荘介の勝手さに頭を下げながら内心で憤慨していたが、失敗の責任を押し付けられるよりかはマシかと我慢する。この時代、ちょっとした反抗で切腹させられたりするのだ。
「その方はずいぶん若く見えるが、いくつだ?」
「……今年で16になりました」
「それはずいぶん若いな。家名はなんと申す?」
「南扇です」
「知らんな、誰の子か?」
返答に困る。どうやら惟信は、僕を武家の息子か何かと勘違いしているらしい。
そりゃあ、足軽頭が指揮してるとは思わないだろうしな。聞いたら腰抜かすかもしれないし。
「いえ、僕は武家の出ではありません。農民です」
「なんとっ!」
案の定、絶句する惟信。
これを見た荘介が慌ててフォローに入る。
「お待ちください。この者は南城壁を守り通したことから見てるとおり、なかなか大した若者にございます。確かに16と若いですが、すでに足軽頭、と見込みのある者。処罰はお許しくださるよう!」
「処罰をするとは言っておらぬ、ただ驚いただけじゃ。しかし足軽頭とは……どのような手柄で足軽頭になったのじゃ?」
「ええと、士官試験で正則さまと戦って……その……勝っちゃいまして……」
言いづらそうに声を小さくして言うと、胡坐をかいていた惟信が思い出したように、両手を叩いた。
「ひょっとして清州で正則殿を打ち倒した、あの直樹か?」
「…はい。たぶんそうです」
否定する理由がないので頭を上げ答える。
「それで思い出しました。正則殿から推薦があった南扇直樹とはそなたであったのか」
僕の顔をまじまじと見た荘介。
おまえ、僕が犬山城赴任の挨拶に行ったとき、ちゃんと顔を合わせただろうが!
「とにかく拙者! 惟信さまをお助けできてこれ以上の名誉はありませぬ!」
荘介が膝を乗り出して、ここぞとばかり惟信に迫る。
話を流して自分の責任もうやむやにする気か。必死だな、おい!
さっきからずっと内心で突っ込みを入れていると、惟信は顎のヒゲをしゃくりながら言った。
「だが、おまえがワシの命に背いて勝手に持ち場を離れたのは事実。しかも足軽頭にその場の指揮を命じるとは言語道断。今回は許してつかわすが……」
と、そこまでいったとき、背後の縁側でカシャカシャと鎧音が聞こえた。
「申し上げます!!島津の夜襲にございます!!」
急報が入る。
「なんだと!どっからだ!」
荘介が立ち上がり、伝令に問う。
「はっ、東と南から怒涛のごとく押し寄せてきております」
「惟信さまっ!」
後ろに振り向いた荘介。
「うむ、すぐに城門へ向かう。荘介、おまえは南城壁を死守せよ。よいな」
「はっ!!」
飛び出していった荘介。これは一大事と僕も続けて飛び出そうとしたが、そこで惟信に呼び止められた。
「そなたはワシと共に城門へ参れ、よいな」
「……はっ!」
なんのために僕を惟信が呼び止めたのか、見当もつかないが命には逆らえない。
僕は、長屋で僕の帰りを待っているだろう彩月と槍之助が気にかかりながらも、惟信に従い城門へ向かった。
一方その頃、彩月と槍之助は、何も知らず南側城壁近くの昨日の長屋で寛いでいた。
直樹と違い、ふたりは城門前でかなり動き回っていたので疲れきっている。
槍之助が囲炉裏横で布団も敷かずに雑魚寝しながら大きないびきをかき、彩月はそのいびきがなるべく聞こえないよう、襖を閉めて他の部屋で直樹の帰りを待っていた。
「直樹、遅いなぁ……」
彩月が温めたお湯に手拭いを浸して汚れた身体を丁寧に拭いている。
砂埃や返り血が身体についているのは恋する乙女の身としては耐えがたい。直樹には自分を女として見てもらいたいのだ。戦場にあってはそんなことも言ってられないが、それ以外の場では努力を惜しむつもりはない。
胸元をはだけさせ同じ年頃の娘に比べて大きい白い乳房からお腹、首、そして脇、腕へと。汚れを拭き取っていく。
空に丸い月があがり、地上に淡い光を落とす。
城下街は、昼間の戦闘などなかったように、一時の安らぎを得て静けさに満ちていた。
「まだ荘介さまと話してるのかな」
直樹が荘介に呼ばれて城主、由布惟信のいる屋敷に向かったのは知っている。
だが、まさか雲の上の存在である由布惟信と話をしてるなどとは夢にも思わない。
きっと明日の作戦の事で呼ばれたんだろうと思ってる。
彩月は身体の汚れを落とすと、真新しい服に着替え、竹筒で出来た水筒の水を飲む。
そして直樹が帰ってくるまで少し横になって疲れを取ろうかと考えていたところに、
城下街にけたたましい鐘の音がカンカンカン!!と鳴り響いた!
「なにっ……!?」
慌てて立ち上がり、部屋の窓から外を見ると、見張り台に上った兵士が大声で「敵襲!敵襲!」と叫んでいる。
一大事とばかり、すぐに彩月は部屋にあった鎧を掴むと、襖を開けて、のんきに寝ている槍之助を叩き起こす。
「槍之助起きなさいっ!!敵よっ!!」
「な、なんだべっ!?」
体をバシバシと叩かれ大声で起こされた槍之助は、混乱したように飛び起きるとキョロキョロと首を左右に振る。
彩月はそんな槍之助を無視して、鎧をちゃくちゃくと身に着けると、槍を片手に戸を開け放つ。
「早く鎧をつけて! 直樹が戻ってきたらあたしたちも行くわよっ!」
直樹は惟信と共に、小走りで闇の中を城門に向かっていた。
途中、槍之助たちに一声かけていきたかったのだが、とてもそんなことを惟信に言い出せる雰囲気ではなく、無言のまま付き従う。
ザッザッザッザッと足音が響き軍隊のように他の兵士も惟信と直樹の後ろに続いてアリの行列のように走る。昼間の戦闘で疲れきっているだろうに、それを感じさせない走りだ。
「惟信さまっ! すでに敵は城壁に梯子をかけております。お急ぎを!」
「わかっておる!」
惟信が険しい顔で頷く。
少し気が緩み始めた頃を見計らっての夜襲。
さすがは島津といったところか。
やがて城門に近づくと、すでに激しい戦闘が始まっていた。
その激しさは昼間よりすごい。雄叫びと悲鳴が交差し、城壁の上に大勢の味方がのぼって、必死に梯子を落としたり上ってくる敵兵を槍で突き殺したりしている。だが、その梯子の量は昼間とは比べものにならず、東側はおろか、南側へも次々とかけられ敵足軽が上ってきている。
すでに兵の薄い場所には、何人かの敵兵が侵入し、その梯子周辺を維持しようと刀や槍を振り回して立花兵を近づけさせまいとしている。
不意を突かれたせいか、交代で休んでいた兵が鎧をつけず槍だけを持ったまま来る場合も多く、その混乱ぶりがよくみてとれていた。
「城門は無事かっ!」
「はっ! 持ちこたえております!」
城門につくと、惟信は状況確認したのちすぐさま指示を出し始める。
連れてきた兵もすぐさま行動に移し、僕もその指示に従って動こうとした瞬間、惟信に止められた。
「そなたはワシの傍におれ」
「……はっ」
僕は惟信の少し後ろに立つ。
そしてその背後に立ちながら色々と考えを思いめぐらせる。
いかにも歴戦の将だというのは分かる。雰囲気から察することができるし、指示を聞いていても堂々として大したものだ。
だが、城門前に城の大将が出てくるのはどうなのよ。もちろん矢が飛んでくることを想定して結構な距離を取ってるが、それでも最前線だ。城門が破られれば、一気にこちらに殺到してくる恐れがあるというのに。
これは直樹は知らないことだが、由布惟信が一番槍、一番乗り、一番首を数多く果たした勇将ゆえのことである。
惟信という武将は最前線に立つことを何よりも望む武将なのだ。それゆえ、荘介がすぐに助けに南側を離れた訳だが、そうとは知らない直樹は頭を捻って考えている。
なぜ、城主自らがこんな場所で指揮をとるのかと。
そうこうしているうちに、惟信に不意に尋ねられた。
「敵の攻撃が城門に激しくきておらぬ。どう思うか?」
それは、と僕が城門に視線をやる。
確かに、城壁の来ている敵兵の数に比べても大人しいようにみえる。一番激しく来ていてもおかしくないだろうにだ。
「……もしかしたら敵は…城門を破ることを諦め……いやっ、まさかっ!」
城門が木造なのに気づいて声をあげた。
「惟信さま、考えすぎかもしれませんが、敵は城門を爆破するかもしれません。火薬を使ってっ」
「火薬じゃと?」
「はい、島津は鉄砲の扱いに長けており、火薬の扱いもよく心得ていると存じます」
この世界の島津が鉄砲に詳しいのかよく分からなかったが、時折、銃声が聞こえたことから少なくとも種子島を持ってるのだろうとあたりをつけて説明する。はずれたらはずれたで別に構わない。どうせ足軽の僕程度の意見を重視してくれるか分からないからだ。
それより考えられる敵の策を注意喚起しておくに限る。
「じゃが、城門を破壊してしまっては、仮に奴らがこの城を奪ったところで、今度は奴らが守りにくくなってしまうではないか」
「いえ、奴らはこの城を守ることを考えておりません。彼らの狙いは一刻も早くこの城を落とすことであり、犬山が最終目的地ではありませんから」
「ふむ…」と僕の意見に耳を傾けていた惟信だったが、やはり火薬を使って城門を爆破するかもしれないという僕の意見は取り入れてもらえなかったようだ。
まぁ仕方ないだろう。実際火薬で城門を爆破するならかなりの量が必要だろうし、上から熱湯をぶっかけられたら終わりだろうしね。
前を向いた惟信に続いて、僕も顔を前に向けると、戦況に注視する。
休んでいた兵が戦線に戻ったことから、戦況は落ち着いたようだが、それでも南側から侵入した敵兵の排除に成功していないようだ。
槍之助と彩月が無事だといいけど。
と、そこで城門の上にいた兵が騒ぎ始めた。
どうしたんだ?と思う間もなく城門から火の手が上がる。
あれよあれよと呆然と見ていると、あっというまに火が城門全体に燃え広がる。明らかに異常なスピードだ。
「何をしておるっ!早く火を消さんかっ!!」
惟信が怒鳴るが、その瞬間、ドーン!と爆発音が聞こえて、味方が動揺した。
そして続けざまに扉をノックするような音が聞こえて門が激しく軋んだ。敵兵が大声で雄叫びや笛太鼓をあげながら何度も丸太を使ってノックしている。
恐らく門に油をまいて火をつけたうえで、ある程度の火薬を爆発させたのだろう。門は破壊できなくとも味方を動揺させる効果を狙っての事だ。
そして続けて門が攻撃されていれば、城壁を守っている味方もそちらがに気になり、城壁を上ってくる敵兵への対処もゆるくなる。
これは城門に立花勢の目を惹きつけるための策だ。敵ながらうまいことを考える。現に、惟信のまわりの味方兵の何人かが動揺を隠せず指示を仰ぐように惟信に視線をやっていることから狙いは成功したともいえる。
「落ち着かんか、城門はまだ持つ! 各自持ち場を維持し、そのまま敵を退けよ! それから荘介は何をしておる! 早く南の敵兵を排除せよと伝えよ!」
「はっ!」
傍にいた伝令が飛び出していく。
「直樹と申したな。そなたの言った通りのことに近かったな。てっきり荘介が大げさに言ったのとばかりと思っておったのだが」
僕を見直したようにまじまじと見る惟信。少し照れくさい。
僕の言は、完全に当たらなかったけど、こうして認められると嬉しくなる。ましてやお偉いさんだしね。
落ち着いた対処。
これで安心だと思ったのだが、その頃南側はとんでもないことになっていた。
──深夜、南側城壁。
「くそがぁしねええぇぇ!!」
「ぎゃあああああああああああ!」
次から次へと湧き出る敵兵に荘介率いる部隊は苦戦を強いられていた。
煌々と光を放ちながら赤く燃える東の城門。
あれだけ派手に攻撃がしたのだから、そちらに意識がいくのは仕方ないだろう。敵の狙いはまさにそこであり、東側で雄叫びや太鼓など派手な音や攻撃で立花勢を引き付けている。だが、実は東側の島津兵の数はそれほど多くない。
東側の兵は、闇に紛れて徐々に南へと移動しており、本当の狙いは南側の城壁越えにある。つまり直樹の予想はある意味当たっていたが、違っていたことになる。
東側に比べて南側の兵はなるべく声で出さないよう厳命されており、暗闇もあって立花勢は南側の敵の数を把握しきれない。
立花勢は東側に主力を持って来ているため、南側は手薄なのだ。そう、昼間東側だけを激しく攻撃していたのも、立花勢の意識を東へ向けさせるためだったのだ。
そうとは知らない立花勢は、必死で東側を防衛している。だが、徐々に南側への敵の侵入を許し始めたことから、異常に気付き始めている。
暗闇で互いの顔がよく見えないほどであるから城壁を乗り越えた敵兵を始末するのに時間が掛かり、侵入した敵の数は劇的に増えていく。
小さな綻びから大きな綻びへ。
ダムの小さな穴は大きな穴へと。
南側の戦況は、もはや荘介の手に負えなくなっていた。
そんな中、彩月と槍之助は戦支度を整えて、直樹の帰りを城壁から離れた長屋で待っていた。
視界に入る城壁では兵士が槍を持って走り回り、東側からは巨大な爆発音が聞こえて身体が焦れる。
槍之助がせわしなく長屋を行ったり来たりしながらイライラしていた。
「遅いべ、直樹はいったい何をしてるんべか!この一大事に!!」
「もうちょっと落着きなさいよ。うっとおしいわね。直樹だってこの状況を分かってるはずなんだから」
そう言いながらも彩月もまた苛立ちを隠せない。
すでに敵の攻撃が始まってかなり経つのだが、一向に直樹が帰ってこないのだ。自分たちで勝手に現場に行きたいのだが、この暗闇の中では合流できるか怪しい。
嘆息したいのを堪えて、ひたすら直樹の帰りを城壁方向を見ながら待つ。
そして「もう待てない!もう待てない!」とぶつぶつ言いながら待つこと、1時間。
ついに状況が変化した。
「なにあれ……味方の様子おかしくない?」
城壁近くにいた味方が蜘蛛の子を散らすように四方八方に走りはじめている。
中には槍を放り投げて走り出す者もおり、明らかに様子がおかしい。月の照らす淡い光の中を目を凝らして見てみれば、城壁の向こう側から次々と敵兵が雪崩打って城内へ入り込んでくるのが見えた。
「なんだべ?あれは」
槍之助も気づいたようだ。
おでこに手を当てて遠くを見るようにして同じように城壁を見つめている。
城壁から長屋までは距離にして50メートルほどと離れているが、ここにいては危ないことは大して考えなくてもわかる。
喧騒がこちらにも聴こえてきたからだ。
「彩月、ひょっとして味方がやられてるだか?」
「やられてるもなにも、見たまんまその通りね……」
敵に追われるようにしてこちらに逃げてきた女足軽を捕まえて状況を訊く。
すると案の定、敵の数に対処しきれなくて逃げてきたようだ。撤退命令が出たのかと訊くと、目を逸らしたので出てないのだろうと察する。恐らく命が惜しくなったのだろう。
元々農民だった雑兵が大部分を占めてるのだから敵に押されれば我先へと逃げ出すのも仕方がない。彩月たちのように出世を望んでいない兵はそんなものなのだ。
彼らは報奨金が目当てであり、命を懸ける理由などないのだから。
「どうすっべ」
槍之助がこちらに近づいてくる数人の敵兵を見て、彩月に振り向く。
「どうもこうもないわ。蹴散らすわよ!」
「おうっ!」
槍を持って飛び出したふたり。
月明かりの照らす街中で、槍を振るう槍之助と彩月の影が不気味に地面を黒く染めていた。
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- 2012/12/12(水) 00:35:38|
- 小説
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