星姫が陣を構えたのは、犬山城から東に数里いったところにある平野だった。
損害を顧みない攻撃でかなりの被害を出したが、それでもまだ、7200を超える兵を擁している。
「姫様、どうやら雪花は犬山城の軍勢と合流するようですぞ。このまま放置してよろしいのですか?」
「ええ、合流させてあげましょう。ふふふ……」
「姫様?」
「いえ、なんでもありません。兵を休ませておきなさい。激しい戦いになるでしょうからね」
「承知しました。姫様」
星姫は、伊集院 忠倉が下がると、唇を舐め、小姓に筆と墨を用意するよう命じた。
雪花率いる軍がやってきたのは、それから30分後のことだった。
援軍は意外なことに島津に邪魔されることなく無事犬山城に入城でき、将兵からは歓声があがる。
さっそく城で軍議が開かれ、僕には末端の席が用意されて話に耳を傾けていた。
「皆の者、よく城を持ちこたえさせた。さすがは惟信です。母様が、いえ道華さまが聞いたらさぞお喜びになるでしょう」
「もったいないお言葉です。雪花さま」
雪花の労わる言葉に頭を下げる惟信。
中央の席に座るのは、士官試験で髭面正則とやったときに現れた凛とした少女。
論功行賞の時にも道華の傍で控えていたことから、もしかして…と思っていたが、やっぱりそうだったようだ。
彼女こそが、立花家当主、立花道華の一人娘にして跡取りの立花雪花。
前にも見た通り、艶やかな黒髪を綺麗に後ろで纏めたポニーテールで、クールさを漂わせる美少女だ。
「それでこれからの方針ですが、何か意見のある者はいるか?」
中央で胡坐をかいた雪花が周りに問いかけると、すかさず荘介が口を開いた。
「雪花さま、ご存じのとおり、すでに外城門は敵に破られ閂は破壊されております。このまま籠城しても守りきることは難しいかと思われます。ここは打って出て島津相手に決戦を挑むべきではないでしょうか」
「ふむ……」
だが、ここで惟信が、猛然と籠城を主張し始める。
「雪花さま、ここは籠城すべきかと存じます。道華さまより預かりしこの犬山城を失っては、ワシは死んでも死にきれませぬ!」
「惟信さまっ!」
荘介が驚いたように惟信の顔を見る。
先ほど自分の提案に同意したのではなかったのか。これでは話が違うと目が言っている。
だが、惟信は自分の主張を曲げようとせず、雪花を見据えたままだ。
先ほど、荘介の提案に押し負けたようにして頷いた惟信だったが、実はその冷静な頭脳で、敵との戦力を比較していた。
星姫の力量が分かっている。雪花が星姫より実力が劣ってるなどと言いたくないが、やはり疲れた兵で野戦は避けたいのだ。それに雪花が連れてきた援軍の数はそれほど多くない。雪花が連れてきた兵を入れれば、さらなる援軍が来るまでこの城を守りきれるだろうと考えている。
雪花といえばふたりの意見を聴き、迷ったそぶりをしている。
僕は内心でドキドキだ。
どうか籠城を選びますように、と。
「ところで、私が連れてきた兵は3000だが、ここの兵糧はどのくらい持つ?」
あっ、それを忘れてた。籠城するにも兵糧がなければ話にならない。
「それならば1か月は持ちましょう」
「1か月か……」
再び考え込んだ雪花。兵糧の事といい、どうやら慎重な性格に見える。
これなら安心かも。
「結論は先送りに、いったん休憩とする。みな大儀であった。解散!」
「雪花さまっ!」
荘介が諦めきれないようにすがるような叫びをあげたが、雪花は席を立ち奥へ去った。
僕は頭を下げると、黙して城から出た。
とりあえずは一難は逃れた。
「おーい、オラたちは味方だべー! 門を開けてくれ~」
「門を開けてっ! あたしたちは直樹の配下の者よ。門が閉まるのに間に合わず取り残されちゃったの!」
一方その頃、城下街から二ノ丸に続く門の外で、槍之助と彩月が、見張り台の兵に向かって必死に呼びかけていた。
ちなみにこの門を守るのは荘介の部隊である。
「ちょっと待ってろ。今、確認に行かせる。おまえたちの名はっ!」
「細川槍之助と……彩月よ!」
「わかった、細川槍之助と彩月だな。暫しそこで待て!」
引っこんだ監視兵。
そして暫くして確認が終わったのか、門横の通用門が開いた。
「やれやれ、直樹が中にいるといいんだべが……」
「そうね、直樹が無事であることを祈りましょ」
そうしてふたりは中に入ると、直樹の居場所を訊き、そこに向かった。
「なおきー、無事だったべかー!」
「槍之助っ、彩月っ!? おまえら無事だったのか!」
「当たり前よ。直樹こそなんで帰ってこなかったのよ! 待ってたのに」
笑顔で駆け寄ってきたふたりに驚き、僕も笑顔で足早に歩み寄る。
僕が部隊を率いていることを二ノ丸の連中は全員知っているため、朝からの戦闘で戻って来なかったことから少し諦めが入っていたのだ。
ふたりとも汚れているが、怪我もなく元気そうだ。槍之助はちょっとやつれてるけど、彩月に至っては肌がツヤツヤしており、合戦が始まる前より調子が良さそうだ。
「いったい何があったの? 島津軍が城下街から出ていっちゃうし、直樹は帰ってこないしでわけわかんないし」
「うん、そのことも含めて今どういう状況か話すよ。ふたりとも腹が減ってるだろ? ご飯を食べながら話そう」
僕たちは近くにあった長屋の一室を借りると、そこで遅い昼食を取りながら、島津軍に何があったのか。なぜふたりの元へ帰れなかったのかを説明した。
「ふーん、そうなんだ。惟信さまが直樹のことを帰してくれなかったんだ……」
「うん。なぜか気に入られちゃってね。それでさっきここで足軽200名を指揮して島津と戦ってたんだよ」
「へー、すごいね……。やっぱり直樹はあたしたちとは違うんだ……」
鼻高々に胸を張った僕に対して、彩月は昼食のおにぎりを食べながら少し寂しそうに俯いた。
自分も一緒に戦いたかったんだろう。ふたりとも手柄を欲しがってたからね。
「それより彩月たちはどうしてたんだ? よく敵に見つからず無事だったよね」
「えっと、それは……」
「交尾してたんだべ」
彩月が自分たちのことを振られて少し言葉を選ぶように口を開いたところで、槍之助が握り飯を頬張りながら、ぶっきらぼうに言った。
「な、何言ってるのよ!! 信じられない。最低っ!!」
それを聞いた彩月は、顔を真っ赤にして立ち上がると、槍之助に向かって怒鳴った。
そしてそのまま槍之助の元に向かうと、思いっきり蹴り飛ばす。
そりゃそうだよね。
せっかく会えたっていうのに、そんな冗談言ったらね。まったく槍之助の空気の読めなささには、ほとほとまいるよ。
僕が苦笑いしていると、彩月はまだ怒ってるのか、槍之助をゲシゲシと足蹴にしている。
「まぁまぁ、そのあたりにしときなよ。せっかく無事会えたんだし」
「えっと、違うの! 直樹。今、槍之助の言ったことは……」
「わかってるって。今のは槍之助の冗談だろ。まったくご飯の最中だっていうのに……」
「う、うん」
コクコクと顔を赤くしたまま、おにぎりを頬張った彩月。
相変わらず可愛い。怒っても美少女だ。
「それでオラたちはこれからどうなるんだべ? このまま籠城するんだべか?」
彩月に蹴り飛ばされ、頭をさすりながら囲炉裏まで戻った槍之助が、再び握り飯を頬張りながら言った。
「それはまだわかんないかな。軍議はまだ終わってないし。僕としては籠城の方がいいと思うけどね」
「そうだべか? オラとしては城に籠るのは飽き飽きだべ」
「それはそうだね。でも野戦となったら厳しいからね」
僕はそこまで言うと、疲れた体を労わるように横になり、天井を見上げる。
疲れた……。
一睡もしてないもんな……。
僕は槍之助と彩月に何かあったら起こしてくれるように頼むと、そのまま目を瞑るのだった。
目が覚めたのは夕方、太陽が西に傾き始めていた頃だった。
槍之助と彩月はそれほど疲れてないのか、いまだ起きており、囲炉裏を囲んで談笑している。
なんだか前より仲良くなったみたいだ。
僕は、身体を起こすと、変わったことはなかったか訊く。
すると、槍之助と彩月はこちらを向いて首を横に振った。
「ん、特に何もなかったべ。心配ならオラがひとっ走りして訊いてくるべが?」
「……いや、いい。僕が直接聞いてくるよ。軍議もあるだろうしね」
「えっ? 直樹って軍議に出てるの?」
「うん、そうだけど……」
信じられないような目で絶句した彩月に僕は言葉が途切れる。
やっぱり足軽頭の自分が軍議に出るなんて異常なことなのだろう。
「さっきより驚いちゃった。直樹ってやっぱりすごい」
どこか寂しげに言った彩月。
いったいどうしたんだろう。どうもさっきから彩月の様子がおかしい。こんな寂しげな態度を見せることなんてなかったのに。
「ねぇ彩月。あのさ……」
そんな態度を見ていたら、なんだか急に彩月のことが愛しくなり、手を伸ばすように口を開いたが、それより先に槍之助が彩月に向かって口を開いた。
「元気をだすべ、オラたちも次の合戦で手柄をあげて出世するべ」
「うん、ありがとう。そうだよね。手柄をあげれば直樹に追いつけるよね」
微笑んだ彩月。元気になったのはいいけど、僕のセリフを取られたみたいでなんだか面白くない。
槍之助と彩月がいい雰囲気になってるし、どうなってるんだ。合戦前には考えられなかったことなんだけど!
目の前の甘い雰囲気を見せつけられ、胸がムカムカする。
僕はこの2日ほど、必死で戦っていたというのに。
「直樹、行かなくていいんべか? 軍議があるかもしれないんだべ?」
「あ、ああ、そうだった。じゃあ、行ってくるよ」
ふたりをボーとした目で見つめていた僕に、槍之助が促した。
いったいふたりに何があったんだ……?
外に出て内城門前に行くと、丁度、昼間に副官を務めていた脳筋足軽と鉢合わせになる。
彼は僕を見ると、慌ててこちらへやってきた。
「どうしたんだ?」
「直樹殿っ! 先ほど惟信さまからの使いが来て、これから軍議だそうです。城にお急ぎをっ!」
「えっ!そうなの!? わかった、すぐに行ってくる!」
真っ青になって、城に向かって大急ぎで駆け出す。足軽頭の分際で遅れたら切腹させられると思ったからだ。
敵がいなくなったのに迂闊に気が抜けないよ。まったくっ!
城門前で弓矢の修繕をする足軽たちを背に、僕はとんでもない時代に来てしまったと再認識するのだった。
城の広間に着くと、幸いなことにまだ軍議は始まっていなかった。
だけど自分が来たのは最後の方だったらしく、自分の席に着くまで、なんともいえない視線に晒される。
チャリと刀を鳴らす参加者の一人。
普段聞きなれた音が、ここでは自分に向けられた音に感じ、内心で緊張する。
誰もが口を開かないなか時間だけが過ぎていく。そしてそれが10分ほど続いたところで、ようやく軽い足音と共に、雪花が奥から現れた。
「全員揃っているな。これより軍議を始める」
ハハーと平伏した僕らが顔をあげたところで、僕らの運命をわける話し合いが始まった。
「まずは荘介、現状の報告をせよ」
肩まで伸びた、艶やかなポニーテルを揺らしながら雪花が荘介に視線を移した。
それを受けて荘介が床に手をついて喋り出す。
「はっ、物見によりますと、敵は東の数里先の平原に魚鱗の陣を敷いて陣取っております。雪花さまが城に入ってからも動きがありませぬ」
「そうか、星姫は、まだ動かぬか。てっきり我らを城に押し込むものとばかり思っていたが……」
雪花が、思案気に声を発する。
そうである。
僕も気になっていたことだが、容易く城を救援させてくれた事といい島津は何を考えているのだろう。
援軍をこちらに合流させたら敵にとって不利だというのに。
「雪花さま、やはり敵は野戦での戦いを挑む気では? 犬山を簡単に落とせないと悟ったのでしょう」
荘介の対面に座る惟信が、先ほどの軍議と違い落ち着いた様子で意見をいう。
「そうだな、星姫は大将でありながら、単独で前線に出るほどの武を誇る。籠城戦はさぞや退屈であろうよ」
周囲から笑いが起こる。
そしてひとしきり笑いが収まったところで、再び惟信が口を開いた。
「しかし、これからどうなされるおつもりですか? わざわざ敵に付き合って野戦をする義理はございますまい」
「そうだな。ここは……」
まわりの雰囲気が和んだところで、結論を述べようとした雪花だが、ここで案の定というか予想通りというか荘介が固い声で割り込んだ。
「雪花さま、拙者は野戦にて戦いを挑むべきだと存じます……」
「……なに?」
たちまち凍る場の空気。
雪花が自分の決定を述べようとしたところを遮られて、不愉快そうに目を細める。
僕といえば、とばっちりがこないよう固唾を呑んで見守るだけだ。
「何ゆえだ。申してみよ」
「それは、立花家の威信のためでござります。元来道華さまは、島津と相対されたとき籠城策などお取りになりませんでした。それが、道華さまがいらっしゃらないと満足に野戦もできないのかと敵に侮られてしまいます」
「何を馬鹿なことを……」
惟信が話にならないと、呆れたように溜息をつく。
しかし荘介は、声をさらに大きくして喋り続ける。
「それでよいのですか雪花さま! 道華さまの後を継ぐ、次期当主がこのような腰抜けかと星姫に侮られますぞっ!」
「だまれっ、荘介っ! 雪花さまになんと言う事を!!」
すごい剣幕で立ち上がった惟信が、腰の刀に手をかけた。
「よいっ、惟信っ!」
一喝と共に、胡坐をかいたまま雪花が惟信を制する。
「荘介、おまえの意見は分かった。だがな、私は立花の名だけでなく、この城にいる将兵の命をも預かっているのだ。
私は少しでも勝ち目がある方を選ぶ。島津がこの城を落とすのを手こずっているというなら、籠城の方にな」
口惜しそうな荘介。膝の上に乗せた拳をぶるぶる震わせている。
気になってるんだけど、なんでそんなに必死なの!?
僕は気まずそうに荘介から目を離していたが、そこへ縁側からカシャカシャと鎧音が聴こえ、誰かがやってくる。
「申し上げます。今しがた、島津より書状が届きました。雪花さまへと」
「うむ。ご苦労だった」
惟信が受け取り、中央に座する雪花に渡す。
雪花は手紙を受け取ると、バサリと広げて読み始めた。
そして暫くして、その顔を険しいものに変え始める。少し手が震えていることから、どうやらよくないことが書いてあったらしい。
「……雪花さま?」
名も知らぬ将のひとりが、雪花の顔色を窺う。
だが、雪花はそれに答えず、手紙を床に叩きつけた。
「おのれ、星姫め……私を愚弄するか……」
先ほどの平静さはどこへやら、惟信が叩きつけられた手紙を拾い上げ読み始める。
「これは……」
なんとも言えない表情で押し黙った惟信。
いったい何が書いてあったのか、すぐにその答えは出た。
「私が、母上の陰に隠れる臆病者だと……」
ああ、それで分かった。
どうやら雪花を怒らせているのは、美濃でわらべが歌う、あの例の唄のことだ。
美濃では、星姫を讃えて、ある唄が流行ってる。
「一騎当千星姫や、島津に舞い降りたイクサガミ~」
のフレーズがやけに耳に残る唄なのだが、実はあの唄には続きがある。
それは、
「一騎当千星姫や、島津に舞い降りたイクサガミ~
立花娘は母の陰に隠れた~る」
と。
恐らくそれが文面に書かれていたのだろう。
雪花と星姫はそれほど歳の差は開いてないと聞いている。
雪花の方が年上のようだが、立場というものならば星姫の方が当主であるぶん、上だ。雪花が星姫を意識するのは無理もないだろう。
実際、両者を比較する陰口があるのも、僕は知っていた。
自分の母である道華と対等にやりあっている年下の少女。
それに比べて、自分のなんと矮小なことか……。
わなわなと身体を震わす彼女。おもむろに立ち上がると、惟信の手から手紙を奪い取り、それを引き裂いた。
「明朝、野戦にて島津を蹴散らす! 星姫を生きて美濃にかえすなっ!」
「はっ!」
神妙に頭をさげた面々。僕は、もう諦めが入っていた。
<< >>
- 2013/01/09(水) 21:25:03|
- 小説
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0