ドンドンドンドン!!
太鼓の音が戦場に響き渡る。
城を出た兵士たちが緊張した様子で、前方に陣取る島津軍に視線をやる。
明朝、僕らは雪花の指揮の元、ついに犬山城を出て陣を構えた。
俗にいう、鶴翼の陣で、魚鱗の陣を敷く島津に相対している。
「もはや、これまでか……」
戦場で散った兵たちの生臭い死臭が僕の鼻をくすぐる中、僕は悟りを開ききったように呟いた。
前にも戦場でこんなセリフを言ったような気がするが、今度という今度は絶体絶命だ。
兵は敵の方が多い。味方はこっちのほうが疲れている。敵は名将。
どうみても戦う前から終わってる。
ましてや、わざわざ有利な籠城戦を捨てて、不利な野戦に付き合うというのだから話にならない。
あれから具体的な陣の配置など作戦を、雪花と惟信以下の側近だけで話し合ったと言うが、不安が募る。
しかも僕が率いてるのは、また、槍之助と彩月のふたりだけである。
なんでも籠城戦とは違うのだからと、荘介が強硬に反対して僕に兵を持たせなかったらしい。
これには惟信も苦い顔をしたが、足軽小頭なのだからと言われて、しぶしぶそれを受け入れたとのことだ。
いやはや、僕が戦場にいる場合は、いつも死の予感を感じさせるよ。まったく。
やっぱり死神かなんかに魅入られてるんじゃないか?
横目で隣に立つ槍之助を見ると、
「今度こそ手柄を立ててオラも足軽小頭だべ」
と、元気に彩月に向かってのたまっている。
まず、おまえは生き残ることを考えような。
僕が生温かい目で槍之助を見つめていると、その視線に気づいたのか彩月が僕に顔を向けた。
「それであたしたちはどうやって戦うことになるの?」
「僕らは右翼先鋒だからね。敵が突っ込んで来たら左翼の味方とサンドイッチみたいに挟み込んで倒すんだけど……」
「サンドイッチ……?」
「ああ、いや間違えた。それは忘れてくれ。とにかく左翼の味方とこちらで連携して挟み込んで倒すんだよ。分かった?」
「うん、わかったわ。向こう側の味方と一緒に挟み撃ちにするのね」
彩月がはるか先にいる味方に視線をやって頷く。
もっとも敵が素直にこちらの思惑通りに動いてくれるか分からないんだけどね。
僕は内心でため息をつくと、合戦の始まりを待った。こうなったらまた3人で戦おう。そして危なくなったら迷わず逃げようと心に決めて。
──午前10時。
睨みあっていた両軍がついに動き出した。
まず先手を取ったのは島津。
緩慢な動きから、やがて騎馬を先頭に、槍のようになって本隊目指して突進を開始する。
「きたぞっ、騎馬は素通りさせて、そのあとの足軽を潰すんだ」
僕は、砂煙をあげて鶴翼の根元にある味方本隊を目指す騎馬を無視して、丁度、騎馬が途切れる瞬間を見る。
「今だっ! いくぞっ!」
すでに惟信率いる右翼の味方は走り出していたが、遅れて僕たちも参戦する。
「おおおおおぉぉぉぉぉ!!」
立花の兵に絡まれ、立ち往生し仕方なしに戦いを始める島津兵。
騎馬の先行は許しているが、足軽の大半が本陣に到達するのを防げた。
さすがは惟信。絶妙のタイミングだ。
「このやらああああああぁぁぁ!!」
「ぎゃああああああーー!!」
槍之助の突進攻撃を受けて、島津兵が倒れる。
僕と彩月も負けじと槍を振り回して、足軽を突き殺す。
血しぶきが舞い、たちまち戦場は地獄と化す。
「殺せ殺せ殺せっーー!!」
誰かの怒鳴り声と共に、殺気だった味方が敵に殺到する。
島津兵も負けじと懸命に押し返すが両側から挟まれて、徐々にその数を減らしていく。
戦いが始まれば僕もただ、目の前に現れた敵と戦う。槍之助と彩月も一緒で、僕に付かず離れずで敵と刃を交えている。
立花勢が押し、島津勢がこれを押し返す。風向きは立花勢に向かって吹いている。そう思われたのだが……。
しかし、有利なのはここまでだった。すぐさま島津は後方に残った兵を投入し攻撃に厚みを加え始める。
閉じた鋏を左右にこじ開けるように凄まじい圧力が掛り、僕ら立花勢はあっというまにその圧力に耐えかね、戦線が崩壊しそうになる。
「くっ! なんて突破力だ!」
決死な表情をして、次から次へと右方から雨のように突撃してくる島津兵を見て、僕は思わず動きを止める。
まさに王道の一撃。
小賢しい作戦など、魚鱗で粉砕せんと言わんばかりの攻撃だ。
これでは持ちこたえるのが厳しい。
しかもまだ疲れが残る犬山城兵がいるのだ。
縦横無尽に立花勢を引き裂き、さらに前進を進める島津勢。
惟信の必死の指揮の元、右翼の崩壊を食い止める。
「だが、左翼が……」
そう、左翼を率いるは毛受荘介。本来は雪花が連れてきた別の将が受け持つはずだったのだが、彼の強い決意と訴えを買って左翼に任じられたのだ。
その左翼が島津の圧力に耐えかね、陣形を維持をできずに崩壊しようとしている。
無論、荘介も立て直そうとするのだが、荘介の部隊は犬山城兵が多くて、疲れがたまってる。ある程度敵の勢いを止めたあとは後ろに下がり始める。
「退くなっ!! 食い止めろ!」
荘介の叫びが戦場に響くが、それは空しい叫びとなって木霊する。
ここに至って、荘介は初めて自分の愚かさを知る。
このままでは、敵の後続部隊が本陣にまで到達すると悟った惟信が、決断を下した。
「やもえん、城に引き返す。これでは戦にならん! 本陣の救援に向かい、雪花さまと共にここより脱出する」
あまりにあっけない幕切れ。
根性の一欠けらもありゃしない。
元々何もかもが不利だったはいえ、いくらなんでもこれはないと僕が思うのも無理はない。
ああ、やっぱり僕はついてないよ。
ここで死ぬのかな。
元気がありあまってるふたりが突進しようとするのを押しとどめ、ぼくらは少しずつ後退する。
僕の頭は、すでに犬山城に帰らず、このまま清州まで逃げようかと考えている。無謀な戦に付き合ってやるほど命を粗末に扱うつもりはない。
こちらに斬りかかってくる敵を舌打ちしながら撃退していく僕。
槍之助と彩月に激を飛ばしながら、逃げるタイミングを計っていた。
───野戦開始より3時間経過。
僕ら立花勢は意外なことにまだ島津勢と戦えていた。
それは雪花の頑張りのせいである。実は荘介ほどでもないが、雪花もこの合戦に賭ける意気込みは相当なもので、敵が押し寄せるや否や自らが騎馬に跨り、烈火のごとく突撃を開始したのだ。
総大将の士気の高さは味方に伝染する。次期当主に遅れてはならぬと、味方も猛追を開始する。敵は騎馬による突進を受け止められ、さらに根元付近の両翼より挟まれたのだからたまらない。
たちまち押しつぶされるようにその数を減らす。
また惟信があっさりと本陣に向かったのも功を奏した。敵が一時的ではあるが、混乱に陥ったのである。
まさか惟信がこれほどあっさりと退くとは思わなかった敵。その行動は疑心を生み、敵指揮官の戸惑いを誘い出す。
ようするに敵は何かの策かと深読みしてしまったのである。
おかげで荘介はその隙に戦線を再構築することに成功し、戦いは膠着状態に陥る。
もっとも惟信自身が副将に後を任せて後方に下がったのだから、早く戻って来ないと、そう長くは持たないことは明らかだが。
「えいっ!!」
彩月が槍を振るって、もう何人目から足軽を突き殺した。
その背中を守るように槍之助が、相手に槍を突き出して牽制する。
それに対してぼっちの僕。
前にもこんな戦い方はあったはずなのに、どうにも違和感というか、壁というか、とにかく仲間外れになったみたいに感じてしまう。
周囲にうんざりするほど敵がいるのだから、こんなこと考えたらいけないと分かっているのだが、どうもその考えが粘土のように頭に張り付いて離れない。
そうこうしているうちに戦いはさらに激しさを増し、ふたりと僕の間にも敵が入り込み、少しずつ距離が離され始める。
「くっ、槍之助っ!!」
こちらの声が聞こえてるだろうに、答える余裕がないのか槍を横に払う槍之助。
いつのまにかその姿も様になっている。
3人の敵足軽に立ち塞がられ、たまらず僕はジリジリと後退する。
雄叫びと共に槍が突き出され、僕はバックステップで回避し、そのまま槍を突き出して相手の腹に一撃を与えて怯ませる。
「彩月っ、槍之助っ!!」
乱戦に巻き込まれかかってるふたり。
合流しようにも、かなり距離が離されてしまった。
右翼先鋒にいるということだけあって、敵の攻撃は激しい。なにせ新たな敵が現れるたびに真っ先にその攻撃を浴びるからだ。
汗が飛び散り、肩で息をする。僕も疲れた犬山城兵と一緒でそんなに疲労が取れたわけじゃない。
敵と刃を交えるたびに、体力が減り疲労が増えていく。
島津より鬨の声があがった。
新たな敵のご登場らしい。
横目でチラリと見れば、槍を構えて突撃してくる集団がある。
そちらの方に意識を向ける間もなく、2人の足軽が僕に突撃してくる。
僕は一人目の槍を撥ね上げ、蹴り飛ばしてもう一人の攻撃を阻止する。そしてその隙にここを脱出する。
(待ってろ、ふたりとも。今そっちに行く)
敵兵を避けるため多少迂回して走り出す。
だが、その瞬間、背中に殺気を感じて思わず身をかがめた。
───ヒュン!
今まで胴体があったとこを横なぎで何かが通り過ぎた気配。
僕は転がりながら体勢を立て直し後ろを向いた。
幽鬼のごとく佇んでいる巫女装束の少女がいる。
その手には自分の身長を超える薙刀を持ち、その刃は真っ赤に染まってる。
だが美しい。
儚さを感じる雰囲気。どこぞの姫かと言わんばかりの可愛らしい美少女だ。
なんでこんなところに巫女さんがいるの!?
僕が驚き、目を凝らした時には、遅かった。
流れるような動きであっというまに僕の間合いに踏み込んでくると、薙刀を振り上げる。
「なっ! はやっ!?」
咄嗟に槍を横向きにして、かろうじて受け止める。
一発でも食らえば再起不能だろうという重い一撃。こんな華奢な身体してるのに、いったいどこにこんな力があるんだ。
僕はたまらず距離を取って、息を整える。
これは勝てない。逃げるしかない。
でもどこへ逃げる?
もし追ってきたら槍之助たちのいる場所へ行っても、今度はふたりを巻き込んでしまう。
戦場に紛れて逃げるという手もあるがリスクが高い。途中で敵がいたら僕の動きが止まる可能性もあるし、逃げるルートも限定されてしまう。
ここは…と、首を左右に振り、近くに森があるのを確認する。
あそこに逃げるしかない。
あの森なら誰もいないし、戦場から少し離れている。
僕は、槍を構えながらジリジリと後ろへ下がると、いきなり背を向けてダッシュで逃げる。
こいつも敵なら戦場から離脱する形になる森まで追って来ないと思ったのだが、、、
──追ってきやがった!
何を血迷ってるの!? 敵なら向こうにいっぱいいるよ!
嬉々として追ってくる巫女さんに恐怖する。薙刀を持って追いかけてくるのだから恐ろしい。
しかも早い!
僕は、ここで籠城前にポケットに詰めていた石の存在を思いだし、槍を左手に持ち替え右手をポケットに突っ込むと、振り向きざまに巫女さん目掛けて数個の石を投げつけた!
───ガキンガキンガキン!!
鈍い金属音を立てながら石が薙刀によって弾かれる。
振り向きざまなので全力とは行かなかった石を、不意打ちにも関わらず危なげなく捌く巫女。
(いったいどんな身体能力してるんだ)
石を投げたせいなのか、顔がピキピキしてるのが分かって、僕は投げなきゃ良かったと心底後悔する。
ダッシュしているせいで心臓が恐ろしいほど早鐘を打ち、後ろから迫る脅威を感じて背筋が凍る。
追われる者と追う者。その精神状態は大きく違う。
前者は恐怖と絶望で、後者は愉悦と興奮で。
僕は走る。少しでも相手を引き離そうと全力で。
そして森に入ったところで、ついに僕の体力に限界が訪れてしまった……。
「追いかけっこはもうおしまいですか?」
悠々と追いついてきた黒髪ロングの巫女さんが、その容姿に似合った美しい声で僕に告げる。
ああ、本当に綺麗だ。こんな清楚な子が人殺しするなんて見えない。
「ああ、終わりだ。ここで相談だが、僕を見逃してくれないだろうか?」
しゃがみこんで休みたい。でもそんなことしたらすぐに襲ってくるだろうから、こんな距離なんでもないと密かに呼吸を整えながら平然とする。
「ふふ……私に石を投げつけた罪を償ったら許してあげてもいいですよ。もちろん貴方の命で償ってもらいますが」
「許す気ないじゃないか!」
そう言った瞬間、巫女が襲ってきた。
そのスピードは先ほど襲ってきたより断然速い。
「くっ!!」
かろうじて身体を捩って躱す。
あと1センチ前にいたら、胸から血が噴き出していたところだ。
まるで野に咲く花を摘み取るように、僕の命も摘み取られるとこだった。こいつやっぱり強い。
「まさか今の一撃を避けるとは、なかなかやりますね」
嬉しそうに言った巫女。
しかし今のは完全に偶然だ。僕の腰が疲れてへっぴり越しだったからなんとか躱せたのだ。
巫女は今度は警戒するように、こちらを見る。
そして、またしても奇跡が起こった。
今度は相手を威嚇する目的で、やけくそとばかりに槍を横に一閃薙ぎ払ったところに、巫女が無拍子に突っ込んできたのだ。
「…っ!?」
まさかと言った表情でこちらに目を見開き、僕の攻撃を紙一重でかわした巫女。
片手を地面について体勢を立て直すと、信じられないといった風に声を出す。
「こんな足軽が立花にいるなんて……」
驚いて薙刀を改めて持ち直す巫女。
だが、衝撃が強いのはこっちだ。今のは明らかに人間離れした動きをしていたぞ。
「おまえ誰だ?」
訊くのが怖いと思いつつ出た問い。
それを聞いた巫女の女は、ニヤリと笑って胸を張る。
「島津家当主、島津星姫です。良い名でしょう?」
ああ、やっぱり……。
まさかと思っていたが、よりによって最悪の名前が出てきた。
どこまでついてないんだよ僕は。こんな奴に出会うなんて。
さっきから見てるけど人間なのかも怪しいくらい。
戦国パネェとか思ってると、今度は向こうから質問してきた。
「あなたの名は? 人に名を尋ねておいて自分は名のならないなんて失礼でしょう?」
「僕か? 僕の名は南扇直樹、おまえよりいい名だろ?」
虚勢を張るようにやけくそに言った自分の名前。
だが、その言葉を聞いた瞬間、星姫の表情が地雷を踏んだように一気に変わる。雰囲気が妖しいものに変わり、舌舐めずりしている。
「そうですか、あなたが南扇直樹……」
目を細めて、薙刀を前方に構える。
その表情は真剣そのもので、隙がない。
「ここで殺そうとも思いましたが、気が変わりました。あなたは捕らえることにします」
血で赤く染まった薙刀の刃が、木漏れ日に当たって不気味に光ったのを最後に、彼女は再び襲ってくるのだった。
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- 2013/01/14(月) 00:06:51|
- 小説
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