8月12日 午前11時46分 研究所 地下5階 治療室 細川弘毅
だらしなく口を開け、白目を剥いている桐沢の袖をまくって、俺は注射を通じて生体チップを送り込む。
タイプγが体内に入った時の反応を調べるためだ。
生体チップはすぐ傍に置いてある医療機器に、大量のデータを送ってくれるだろう。
ピッピッピッツピッピッ……。
生体チップが正常に動作しているか確かめ、日本人形のような美しい黒髪を一撫ですると、俺は藤乃宮遥の到着を待った。
5分後、ピンクの患者衣を着た藤乃宮遥を連れて側近が戻ってきた。
藤乃宮は桐沢を見るなり驚いた顔で、桐沢の傍に駆け寄る。
「桐沢さん!? どうしてここに! それにこの姿は……」
変わり果てた友人の姿に言葉を失い、サンプルは説明を求めるように隣の側近の顔を悲痛な表情で見た。
「落ち着いてください。彼女は重傷に見えますが、それほど症状は重くありません。すぐに目を覚ますでしょう。彼女がなぜここにいるのかは、目を覚ましてから説明します」
重症ではないと知ってホッとした様子のサンプル。
だが、真実を知った時、果たしてお前はどういう反応を見せるかな?
俺は、この研究所に3粒しかないタイプγを用意すると、側近に命じてモニターを監視させた。
フィナーレはもうすぐだ。
8月12日 午前11時53分 研究所 地下5階 治療室 桐沢真由美
「あが……」
暗い闇に覆われていたワタクシの意識は、唐突に呼びさまされた。
自白剤を打たれ、脳みそがしゃもじで混ぜられるような不快感を味わっていたワタクシは、始めて明確な意識というものを取り戻し、ぼんやりと目を瞬かせる。
「桐沢さん、気づいたの! 良かった!」
眩しい蛍光灯が白い光を放つ中、傍からどこか懐かしい声が耳に届く。
この声はいったい誰の声だったかしら。
まだ痺れる頭を苦労して左に傾ける。
「ぁ……」
そこにいたのは藤乃宮さんだった。
ピンクの患者衣を着ているが間違いない。あの可愛らしい顔、グラマーなスタイル。そして染みひとつない白い肌。どこから見ても彼女で間違いない。
なぜここにいるのだろう。
ワタクシの記憶が確かなら、ここは植物研究所の地下のはずなのに。
ワタクシは声を出そうと口を動かすが、藤乃宮さんは首を横に振る。
まだ何もしゃべらなくてもいいと言ってるようだ。
ワタクシはそれに小さく頷くと、今度はワタクシをこんな目に合わせた連中を睨みつける。
そこにいたのはふたりの男。
一人は髪をオールバックにした20代後半の男。
もう一人は髪を7、3に分けたこれまた20代後半くらいの男だ。
ふたりは白衣を着ており、一人はワタクシの傍で、もう一人は少し離れたモニターの前でこちらの様子を窺っている。
ワタクシをこんな目に合わせておいて、憎まれ口の一つでも叩いてやりたいが、生憎と声が満足に出せない。
身体が満足に動けば、そこらへんにあるメスを掴んで襲い掛かっていただろう。
「気分はどうかな? 桐沢さん」
私の横にいる白衣を着た男が、軽い口調で言った。
ワタクシが睨みつけているのが分かっているだろうに、意にかえさぬその態度は、ワタクシの脳内の血液をさらに沸騰させる。
「き…さっ…あ、ぎゃ……や…く…!」
言葉が出るのと同時に涎が口から溢れのを自覚したが抑えきれない。ありったけの罵倒を短い言葉に込めて叫ぶ。
だが白衣を着た男は、そんなワタクシを見て微笑むと、藤乃宮さんに向かって楽しそうに喋り出した。
「藤乃宮さん、桐沢さんがなぜここにいるか理由は分かるかい?」
「い、いえ」
戸惑った様子で藤乃宮さんは首を振った。
当然だろう。彼女は何も知らないのだから。
むしろこの展開についていけないようで、せわしなくワタクシと隣の男の顔に視線をやっている。
「それはね……」
口を歪めた男。
まさかこいつはっ!!……ワタクシのやったことを喋るつもりなのかっ!?
咄嗟に藤乃宮さんに目だけをやるが、藤乃宮さんは戸惑った様子で男の言葉を待っている。
イヤだ……。
知られたくない。
彼女だけには。
ワタクシの大事な大事な映画の主演女優を務めてくれた彼女には……。
一気に色んな感情が溢れだし、ワタクシは手足を鉄柵にガンガンぶつけて話を阻止しようとする。
こんなことをしたのだから覚悟していたはずなのに。
「……君に性欲増強剤を飲ませて淫乱な女に変えちゃった罪でいるんだよ。分かるかな? 白い液が出る病気があるっていうのも全部、真っ赤なウソなんだよ」
ああ……、そうか。
ワタクシは怖かったんだ。
今まで傲慢に全てを支配してきたワタクシが。
映画だけは真剣だったワタクシが。
大事な人に軽蔑されるのが……。
8月12日 午前11時59分 研究所 地下5階 治療室 藤乃宮 遥
「えっ……」
聴いた瞬間、頭が真っ白になった。
私の目の前で立っている細川さんが、種明かしするように楽しそうにいった言葉。
それが理解できない。
白い液が出る病気が全部ウソなのは可能性として考えていた。
でも、性欲増強剤の話なんて知らない。それってどういうことなの……?
呆然と立ち尽くした私に、細川さんは分かりやすく説明を始める。
「藤乃宮さん、君は最初から騙されてたんだよ。そこにいる桐沢にね。桐沢は君の恋人だった春山啓介と組んで君主演で映画を撮っていたんだよ。いやらしい映画のね。身に覚えがあるだろう? ほら治療のやつだよ」
パズルのピースが繋がっていく。
今まで疑問に思っていた答えが、はっきりしていく。
4月から映画出演をしつこく誘っていた桐沢さん。
ある時期を境に急に誘って来なくなったことに疑問を持っていた。
それはたしか、春山くんの治療を始めたとき……。
カシャンとピースが嵌った。
映画研究部のみんなも白い液のことを知っていた。
しかも急に自分たちも白い液が出る病気だと言って、
このままだとすぐに大変なことになるって言って……。
──カシャン
また一つ嵌った。
その様子を撮影していた。
桐沢さんは傍で座って…まるで監督のように。
私を主演に据えて……。
──そうだったんだ。
私は、私は……。
春山くんの言ったことを真に受けて、好きだった幼馴染の幸太くんを捨てて……。
「……桐沢は君に食べ物か飲み物を渡さなかったかい? 予想だと性欲増強剤タイプαを粉状にして飲食物に混ぜて摂取させていたんだろう思っているんだが。どうだろう?」
我慢できなくて……。
歯止めが効かなくて……。
春山くんや映研部のみんなと、いっぱいいっぱいセックスした。
白い液の病気なんてなくて。
中出しいっぱい許して。
快楽に負けて。
私は……。
8月12日 午前11時59分 研究所 地下5階 治療室 細川弘毅
「あらら、壊れちゃったかな。真実を知って」
俺は後ろの側近に振り返り、やれやれと手をあげて苦笑いした。
目の前の藤乃宮は虚ろな表情で立ち尽くし、ぶつぶつと独り言を言っている。目の焦点があってないことからかなりのショックを受けたようだ。
「ふ…じの、み…やさん……」
桐沢がベッド上で悔しそうに顔を歪めて涙を流している。
何をいまさら泣いてるんだ。罪悪感でもあったのかこいつに?
呆れ顔で桐沢から視線を外すと、俺は医療机から桐沢に投与する注射器を手に取った。
すでにタイプγは液体に溶かしており、あとは血管に注入してやるだけだ。
「最後に言い残すことはあるか?」
少し言葉が戻ってきたことから、最後にこいつの文句を聞いてやろうと尋ねる。
こいつは十分俺の役に立った。それくらいしてやってもバチが当たらんだろう。
だが、大いなる慈悲の心をやったのにもかかわらず、こいつは何も言わずただ俺を睨みつけるだけなので、
俺は時間の無駄だと桐沢の袖を捲った。
「ぎ、ざ……ま!」
今更ながらに喋った桐沢。
侮蔑の視線を送りながら、俺は注射器を少し押して空気を抜いてやる。
「おわりだ。じゃあな」
短く別れの挨拶を告げると、注射針を近づけ、
そして今、まさに注射針が桐沢の腕に刺さらんとしたとき、
「だめっ!!」
──ドンッ!
っと思いもよらぬ強い力で押されて、俺はそのまま後ろに尻もちをついてしまった。
「ぐっ……」
不意を打たれて押し倒された衝撃で顔を顰める。
そして羞恥心が湧き上がりながらズボンを払って立ち上がると、突き飛ばした女。藤乃宮を忌々しげに睨みつけた。
「なんのつもりかな? 藤乃宮さん」
「それはこっちのセリフよ!あなた桐沢さんに何をするつもりなの!」
いつのまに立ち直ったのか、藤乃宮は先ほどとは違った強い態度で、俺に突っかかってくる。
いったい何があったのか、その目には一歩も引かない意志が込められ、俺と桐沢の間で両手を広げて近づけさせまいとしている。
「困るなぁ、藤乃宮さん。彼女を治療するために注射するところだったのに」
俺は内心で舌打ちしながら、笑顔を浮かべて彼女の前に立つ。
あんまりごちゃごちゃいうならこいつにもタイプγを打ってやる。
他の学生もタイプαを摂取している可能性が高いのだ。なにもこいつだけが特別じゃない。
そもそもサンプル如きが俺に逆らうことなど許されない重罪なのだ。実験動物はただ黙って実験されればよい。
「それは嘘でしょ。あなたさっき最後に言い残すことはあるか?って言ってたじゃない。桐沢さんに危害を加えるのは明らかよ」
聴こえてたのかと、さらなる凛とした態度に苛立つ。
壊れたと思っていたが、すぐに立ち直っていたということか。
俺は笑みを崩さず「まぁまぁ」と言いながら、ゆっくりと懐柔を試みる。
「どうして彼女をかばうんだい? 君も真実を知ったのだから彼女が憎いだろう。殺してやりたくないのかい?」
そうだ。桐沢は自分を嵌めた憎い敵。
殺してやりたいに決まってる。
「……そうね。私は彼女が憎い。でもね、それでも彼女を殺していい理由にはならない。特になんの関係もないあなたには」
「甘いねぇ。彼女が君に薬を飲ませなかったら、今こんな事態にはなってないんだよ。犯されたのもこいつのせい。身体を汚されたのもこいつのせい。そして幼馴染を失ったのもこいつのせい。そうだろ? こいつさえいなかったら今頃君は幼馴染の彼と一緒に青春を謳歌してたんだよ」
「それでもよ。それでもあなたには桐沢さんを殺す権利はない。私が幸太くんじゃなく春山くんを選んだのは、今でも間違いじゃないと思ってる。春山くんは私に優しくしてくれた。私を愛してくれた。それは変わらない。それにえっちは気持ち良かったから後悔はしてないわ。ねっ」
目の前のサンプルが生意気にも振り返って桐沢にウィンクした。
その表情、雰囲気からは、もはや怒りを感じさせず、楽しささえ感じるほどだ。
──ちっ、こんなことになるとは。
俺は目の前で楽しげに表情を緩めた藤乃宮の説得を諦め、次の行動について素早く考えを纏める。
力ずくで抑え込んでもいいが、なるべくなら無傷で捕らえたい。
そうなると、これは間抜けな手だから使いたくなかったが、タイプαの恩恵を利用するしかない。
俺はズボンをおろすと、ちんぽを藤乃宮に見せつけた。
「そこをどいたら抱いてやる。ちんぽが欲しいだろう?」
さっさとそこをどけ。
無駄な手間をかけさせやがって。
そう思いながら、こいつがどくのを待つ。
しかし、返ってきたのは予想外な言葉だった。
「いやよ。馬鹿じゃないの? そんな恰好して」
「なっ!?」
屈辱よりも先に驚きが前に出て動揺する。
(どういうことだ? タイプαを摂取しているサンプルは、深くモノを考えられず性欲に流されるはず)
後ろにいる側近に振り返るが、側近も驚いたように目を丸くしている。
「わかったら、さっさとその注射器をどっかにやりなさいよ。その粗末なおちんちんを私に蹴り飛ばされたくなかったらね」
別に性欲の昂ぶりを我慢している様子もなく、淡々と俺に言ったこいつに俺は初めて憎しみを抱く。
何様のつもりだ。サンプルの分際でっ!
か弱いその身体で俺と対等のつもりかっ!!
俺は傍に会った医療机からメスを数本引っ掴むと、藤乃宮に投げつける。
「…っ!!」
一瞬、見間違いかと思ったほど素早い動きで横にメスを避けた藤乃宮。
バランスを崩した藤乃宮を尻目に注射器を振り上げると、一気に身動きの取れない桐沢の首に注射針を突き刺した。
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- 2013/01/23(水) 00:12:28|
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