8月12日 午後13時58分 研究所 地下1階 所長室 桐沢真由美
パラパラパラ……。
壁の破片が床に落ちた後に現れたのは、白衣を着た村山麗子だった。
彼女は、6畳ほどの部屋に立ちワタクシたちを見ても大して驚いた様子を見せず、少し顔を顰めただけだった。
「……なぜここにいることが分かった」
「簡単な話ですわ。貴方はワタクシたちがそのまま逃走すると思っていたので、所長室から動かなかった。しかしワタクシたちが所長室に近づいたことで、貴方はワタクシたちの狙いを悟った。
当然、貴方としては逃げるしかないのですが、エレベータが止まっている以上、逃げるなら階段を使うしかない。ですがワタクシたちは階段からこの部屋に通じる道を通ってきているので、逃げ出せなかったのですわ」
「……だがこの所長室に隠し部屋があるのは知らなかったはずだ」
「そうですわね。確かにここは知りませんでしたわ。なので、ここを見つけたのは音ですわ。貴方がスイッチを押した小さな音で気づいたのです。どうやらワタクシ、耳が非常によくなってしまったみたいで、ホホホ……。それに……
ガスですわ。このガスの存在が貴方がここにいると証明したのです」
「どういうことだ?」
「だっておかしいでしょう? ガスが出てくるタイミングも絶妙でしたし、逃げようと思えばすぐに廊下に逃げれます。これじゃあまるで、この部屋から出て行ってほしいみたいじゃないですか」
「…………………」
「となると、あとは簡単。ワタクシはすぐに自分ならどこに隠し部屋を作るか考えたのです。そしてスイッチ音が聴こえたこの場所を探り当てたのです。お分かりになられましたか?」
「ああ、よくわかったよ。ありがとう」
村山麗子は溜息をついてお手上げといった風に首を振った。
本当は先に逃げ出してワタクシたちを他の部屋でやりすごすという選択肢もあったのだろうが、それについては言及がなかった。
シャッターで移動は困難になるし、他の部屋だと確実に隠れる場所がなかったというのが予想されるところですが。
「それでどうしてその超人的な身体能力を身につけたんだい。それを是非私に聞かせてくれると有難いのだが」
「それは死んでしまった細川さんがよく知ってるでしょう。仮に知ってても言ったりしませんわ。ワタクシたちをこんな目に合わせた貴方に教える義務などありませんもの」
ニッコリ笑って教えてあげる。
藤乃宮さまは、あまり会話に興味がなさそうだ。ワタクシに全て任せている。
「そうか、ではここに何しに来た。まさか仕返しなどと考えてはいまい?」
まだ余裕を崩さない村山麗子。
白衣のポケットに手を突っ込んだまま、表情を変えない。細川という腹心が死んだと聞かされても顔色一つ変えないということは、すでにその死を知っていたのでしょうか。
悠々と立ち尽くす村山にワタクシは軽い苛立ちを覚える。
ワタクシがその気になれば一瞬で殺せる。それは向こうも分かっているはずなのに、その余裕が気に入らない。何か切り札でも持っているというの。
圧倒的に有利な立場だというのに、俯瞰されているのが気に食わないワタクシは、口の端を釣り上げて答えた。
「ええ、そうですわね。実は貴方にお願いがあってまいりましたわ。それは貴方にある薬を飲んでもらおうと思ってきたのです」
「ほう……」
薬の名を言わず、要求だけ告げる。
言ってしまえば、なんらかの対処をされるかもしれないと思ったからだ。それにその余裕を崩し、恐怖に歪んだ顔を見たかったというのもある。
しかし、村山は恐怖に歪むどころか、逆に興味津々といった感じに表情を変える。
そしてワタクシが言わんとする意図を口に出してみせた。
「その薬を飲めば、私も君たちのような力を得ることができるのか?」
「……さぁ、それはどうかしらね」
主導権を握られ、ワタクシは内心でより不快さを滲ませる。
こいつはワタクシの苦手なタイプだ。恐らく脅しなど通用しないだろう。先ほどの言動から、なぜワタクシたちが薬を飲ませようとしているのかも分かっているに違いない。
ワタクシは頭を切り替え、静かに周りの様子を確認した。
催眠効果があるらしき白い煙が膝まであがってきている。
村山麗子は別にこれを吸ったところで不都合はないので、自然体のままだ。
このまま会話を続けるとワタクシたちが困ったことになるので、話を速やかに終わらせることにする。訊きたいことは、薬を飲ませたあとで訊けばいいのだ。何も焦る必要はない。
「ということで、飲んでいただきますわね。ノーとは言いませんわよね。言ったところで力ずくでも飲んでいただくことになるのですが」
そう言って村山に近づく。
ポケットに入れたままの手が気になったが、妙なことをすれば確実に手をへし折ることにする。彼女もワタクシたちの力を知っているのだろうから、何もできないだろう。
8月12日 午後14時5分 研究所 地下1階 所長室 村山麗子
(まさか5感までも強化されているとはな……)
ゆっくりとこちらに近づいてくる桐沢を見ながら思う。
隠し部屋にもあっさり気づいた。身体能力も運動神経がいいというレベルではなかった。
画面を通してではなく、実際に相対してみて、その存在に圧倒された。
もちろん表情や仕草に出すわけにはいかないが、今この場にいてアレを相手に生きていることが信じられないほどだ。
アレ相手に話術で切り抜けられるほど甘くはないと話してみて分かった。ガスが充満してきていることが逆に仇となり、かえって時間稼ぎができなくなっている。
鼓動が早くなっていく。
催眠ガスを部屋に充満させる時間稼ぎはさせまいと、桐沢がこちらに向かって歩いてきている。
余裕ぶっているが逃げ出したいほどだ。
(雅彦……)
この場にいない弟の顔を思い出す。
汗が滲んでいる。
ポケットに入れた手が少し震えている。
このままだと、私も彼女たちと同じモノになってしまう。日本人形のような美貌を誇る死神が、笑みを浮かべて人間としての死を私に告げにやってくる。
「なってたまるか……」
自然と漏れる呟き。
桐沢が足を止め、怪訝そうに首を傾げる。
「きさまらと同じ化け物になってたまるかっ!!」
私は右ポケットに入れてあった銃を素早く抜き、桐沢に向ける。
この距離なら躱せない。確実に身体のどこかに当たる。
そう、確信したのをあざ笑うように桐沢は動く。
彼女は一瞬、見失うほどの動きで腰をかがめて銃口の先から自らを外すと、そのまま手を伸ばして私の腕を手に取った。
そして腕を捻りあげて完全に私を制御下に置くと、そのまま床に押し倒して力を込める。その手際は鮮やかで、少なくとも私には手も足もでない。
「観念なさい。見苦しいですわよ」
桐沢が白い錠剤を出して、私の口を無理やり開かせる。
抵抗すらできないほどの腕力。必死に身体をもがかせるが、話にもならない。
「くっ……」
これが私の末路だというのか。研究者としての終わりだというのか……。
なんの薬か訳の分からない物を飲まされて倫理観を失い、人殺しを躊躇もせず行う化け物になるという最後が。
私は瞬きほどの時間で、最後の決断を下す。
この研究所で起こったことは全て自分の罪。
タイプαをきちんと管理できていれば、こんなことにはならなかった。だから全てを清算する。
この化け物たちを道連れに私は全てを消去する。
口に指がかかり、錠剤が口内に入りかかった瞬間、私は表情を緩めた。
(……雅彦すまん、私はお前を救ってやれなかった。だけどこの研究所に残った研究者が事情をはなし、きっとお前の身体の異常にも気づいて治療してくれるだろう。
20回以上射精しなければお前は生き続けることができるのだしな)
雅彦との最初の出会いからあった数々の想い出が、脳内にフラッシュバックを巻き起こす。
自分を姉のように慕ってくれた少年。
自分を研究者としてではなく、ひとりの女性として接してくれた少年。
そして、自分のようなつまらない人間に温かみを与えてくれた少年。
もしかしたら私は雅彦のことを……。
カチリ!
「っ!?」
左のポケットに入れてあったボタンが押された。
その瞬間、所長室から赤い炎が立ち上がり、周囲に爆発音を響き渡らせる。
たちまち、部屋全体が赤く光り輝き、何もかもを吹き飛ばしていく。机も椅子も棚もテレビも、そして人間も……。
爆発の衝撃が地下1階に振動を与え、地上にある建物を軋ませた。
全ては無に。全ては灰に。
藤乃宮も桐沢も。
そして、何事もなかったように静けさを取り戻した。
・・・・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・
「まったくびっくりしましたわね。まさか自爆するなんて思いませんでしたわ。てっきりワタクシたちと同じモノになって研究を続けてくれると思いましたのに」
「そうね。彼女は優秀そうだったし、結構人が好さそうだったから仲間になって欲しかったんだけどなぁ」
瓦礫を押しのけ立ち上がったのは、ふたりの少女。
まだ炎と煙が充満するなか、身体についた埃を払いながら、平然と会話する。
「それにしてもアレで死なないってホント、私たちの身体どうなっちゃったのかな?」
「それは、これからゆっくり調べていけばいいですわ。時間はあるのですしね」
「そうね。そうよね」
ガヤガヤと人の気配がこちらに近づいてくる。
何も知らずに、何が起こるとも知らずに。
「さぁいきましょ桐沢さん」
「はい、遥さま」
ふたりは並んで歩き出す。
その頭にはすでに村山麗子のことは忘れ去られていた。
───────2か月後── 藤乃宮遥
「……順調そうね。もうちょっとでここは私たちのモノになるかな」
「はい、島の住人ほぼ全てがタイプαを摂取しております。この調子でいけば、遠からずこの島はワタクシたちの楽園となりましょう。楽しみですわ」
目の前で繰り広げられてる性の宴を見つめながら制服姿の私は微笑んだ。
交わっている。
男子と女子が交わっている。
沢山の生徒が乱交に興じている。
学園のいたるところで、全裸や半裸の人間たちが嬌声や雄叫びをあげて交尾を続けている。
あの日を思い出す。
かつて研究所で生まれ変わったあの日の事を。
私たちはあれからノコノコやってきた研究者や警備員を捕まえ、ありとあらゆる情報を訊きだした。
タイプγのストックや製造方法は残念ながら、所長や細川の死と共に失われたが、タイプαは大量に手に入れることが出来た。
桐沢さんはタイプγが失われたことを知り、大層不機嫌となったが、気を取り直してタイプαを研究所で生き残った者たちに強引に飲ませた。
もしかしたらタイプαの副作用を乗り越えれば、自分たちと同じ存在になるのではないか?と考えたのかもしれない。
そしてその予感は当たった。
何人かの男が、20回以上射精しても死ななかったのだ。
私たちはそれを喜び、彼らを詳しく調べた。すると色々なことが分かった。彼らはタイプγを摂取した私たちには及ばないものの強化された身体能力を手に入れており、その能力は通常の大人の3倍程度と分かった。
それだけではない。
桐沢さんは、克服した男たちの精神を支配することが出来たのだ。
これは私にはない能力。桐沢さんだけの力。
私たちはこれで新人類の仲間を増やせると確信すると、生まれてきた新人類を支配下に置き、今度は夜陰に紛れて島の水道局を目指し、そこで大量のタイプαを生活用水に混ぜた。
島でただ一つの水道局。その効果は素晴らしく、たちまち島は汚染された。
飲料水。料理。お風呂。生活に欠かすことのできない水。3日目には効果が出始め、学園の人気のない場所で性交する生徒たちが見られた。
私たちは誕生した大人の新人類に命じて隠ぺい工作を行い、島外に出るものを厳しく禁じた。
そして時は流れて夏休みは終わり、帰省していた生徒たちが帰ってくる。
この頃になるといつのまにか何人もの女性が仲間になっていたが、まだ女性の副作用は分からない。
連絡がとれなかったり不審をもって島にやってくる生徒の関係者は温かく迎え入れ、タイプαを飲ませて監視した。もちろん彼らが島から出て行くことなどもう出来ない。
性のモラルが破壊された学園。何人もの生徒たちがまた飲み込まれていく。
次々と新たな新人類が誕生するが、それと同時に多くの死者も増えていく。
減った人員を補充するように新人類の仲間が本土に渡り、次々と容姿端麗な年若い男女を連れてくる。
もはや島に入れば完全にそこは別世界となっていた。
私は右手の中指でそっと唇をなぞると、乱交に興じる生徒たちに混ざっていく。
タイプγの副作用を克服したからといって、性欲が減退したわけじゃない。むしろ前より強くなったくらいだ。
変わったところといえば、自分の性欲をコントロールできるようになったくらいだろうか。
制服を廊下に脱ぎ捨て、下着まで脱いだ私に何人もの男の子が群がってくる。
その中のひとりにおまんこを与えながら、私はこの快楽の海に溺れて行った。
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- 2013/02/08(金) 00:05:57|
- 小説
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